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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(7月10日「自由詠」)


お久しぶりです。
毎月10日は自由詠の日、
ということで、
うたの日にも久しぶりに参加しました。
やっぱりうたの日は楽しいですね。

うたの日

7月10日のお題は自由詠
5つある部屋全部が自由詠ですが、
わたしは4つめのお部屋に参加しました。

ストローをすすむ豆乳きょう雨がふれば行かない理由ができる(しま・しましま)
出してしまった後で、
あ、「きょう」って参院選の投票日だな
って気がついて(忘れずに投票には行きましたが)
このうたの行きたくないのが選挙のことって取られちゃうかな
とも、思ったんですが、
あんまり選挙とは関係ない「きょう」のことでした。
直前までとても楽しみにしていたイベントでも
その前夜とか当日の朝とかに、
急におっくうになったり気持が沈んだりして
あー行きたくねぇ
って気になってしまうことありますよね。

ハートを入れたうた。
淡海わこさんの
口中で氷をゆっくり噛みしめてキュウと鳴る音だけ聞いている
「キュウ」という擬音、
見るだけで、
「氷をゆっくり噛みしめ」たときのあの感じが
蘇ってくるみたいでした。
ガリガリ噛むんじゃなくて、ゆっくり噛むと
「キュウ」って感じですよね。
少しずつ氷に歯が沈んでいくような、
弾力があるものを噛んでるような変な感じ。
もともとは
冷たいものを口にしたかったか、
氷の味自体を楽しみたかったか、
その歯ごたえを堪能したかったか、
とにかく、
「氷」を口にすることがメインだったはずなのに
いつのまにか
「キュウと鳴る音だけ聞いている」
というのが
なんだか主体の心象を想像させられるようで
いいなって思いました。
他に聞きたい音もなくて、
ただその音だけを聞いてる、みたいな。
初句の「口中の」は、
いらないような気がしなくもないですが、
あえて言葉にして表現されることで、
ぱっと読む側の意識が「口中」に行くようで、
やっぱりいらなくないなぁって
気がします(最後えらそうでごめんなさい)。

音符を入れたうた。
富井丈生さんの
書けど書けど醜き字なり六畳を紙墨の山にうめてしまへり
自分の書に、いま一つ納得がいかないことから、
書いても書いても、
いや、書けば書くほど
「醜き字なり」という気持に陥ってしまう。
その気持が、
やや大仰に「六畳を紙墨の山にうめてしまへり」
となってしまう感じ、
わかるなぁって気がします。
「書けど書けど醜き字なり」
という上の句に強いインパクトがありますね。
「醜」という字の強さと、初句の字余りが、
「なり」という詠嘆をより強めてるって気がします。
下の句の
「六畳を紙墨の山にうめてしまへり」
強い上の句と次の下の句のつなぎ目にある
「六畳を」のさらっと流した感じから、
「紙墨(しぼく)」という印象的で且つ、
これが書をしたためてるところだと分る熟語を置いて、
「山にうめてしまへり」
と、ややヤケクソ感のあるユーモアを漂わせて終わるところとか、
上手いなぁって思います。
端正な雰囲気とトホホ感が
なんともいえない味わいになってるなぁって思って、
すきな作品でした。
朝倉洋一さんの
草舟にこんぺいとうを積み込んでみんな泣いてた蟻の出港
「草舟にこんぺいとう」
うわー、もうそれだけでも叙情的ですてきな景だな
って思います。
「こんぺいとう」の甘さを「草舟」が少し抑えつつ
和テイストのメルヘンな映像が浮かんで来ます。
で、その舟は「蟻」のための舟なんですね。
「みんな泣いてた」っていうのは、
積み込みを手伝って見送る側でしょうか。
舟に乗り込んでいる側の蟻たちでしょうか。
船出というと、ふたつのイメージが浮かんで来ます。
端的にいうと出発と死、ですね。
もしかしたらどちらも同じものなのかも知れませんが。
死んだ蟻を、こんぺいとうと共に舟で流して弔いとする
という情景にも、
涙と共ににぎやかに舟に乗り込んで、
再び帰らない旅を見送る、
という情景にも思えます。
ほんのりと暗さを漂わせた童話のようで
ステキでした。
矢波多恵さんの
半分のパピコを渡す気軽さで出された好きが手の中にある
主体の「手の中にある」という「好き」は、
主体の気持ではなくて、
主体に伝えられた「好き」なんですね。
「好き」という気持が、
手の中に納まるサイズのモノとしてある、
というところが面白いなって思いました。
モノをぽんと渡すみたいにして渡された
「好き」という気持、
思わず受け取っちゃったけど、
さて、どうしよう
みたいな、
こんな軽くていいん?
みたいな、
そんな主体の困惑した感じが、
「手の中にある」という結句に漂うような気がしました。
ぢつと手を見る、みたいな。
「半分のパピコ」っていう気軽さの表現も
キャッチーですごくいいなって思いました。

コメントを入れたうた。
もりのさとさんの
冷水をガラスコップに注ぐとき遠くの海に沈む客船
とにかく「遠くの海に沈む客船」の
不穏だけど何か惹かれるイメージが
うーん、いいな…でも……
って感じでした。
これはわたしの抱いたイメージですが、
例えば、映像としての「沈む客船」。
音のない映像で、最初はゆっくり傾いていって、
あるところから急激に沈んでいく大型の船
って感じのものを想像しました。
それを、
ガラスコップの中にイメージするのって
いいな、好きな感じの連想だな
って思ったんですが、
「冷水をガラスコップに注ぐとき」
に、それを思うという感じは、
ちょっと自分の中で繋がらなくて、
迷ったあげくのコメントのみ、という感じでした。
桔梗さんの
さみしさへ向かふ電車の窓ガラスの張り裂けさうなゆふひの色だ
このうたも、
「張り裂けさうなゆふひの色」
っていうフレーズがとてもステキで、
それだけでご飯がすすむぐらいいいなって
そう思うんですが、
でも……となっちゃった作品でした。
「さみしさへ向かふ」が
なんとなく言いすぎてるかなって、
同時に情景がはっきりしないかなって思うのと、
「張り裂けさう」なのは、
「ゆふひの色」の方なのか、
「窓ガラス」の方なのかなって思ったら、
なんとなく鑑賞がぐらついて
分らなくなってしまったのでした。
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