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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(10月9日)


10月9日のお題は「読」「置」「東京」「バス」でした。

「置」
そのかごにカバンは置いてくださいと言われてよりのおうちの遠さ(しま・しましま)
真香さんと有櫛由之さんから評をいただきました。
実景としては病院の診察室なんですが、
外にいるときって、
家からずっと持ってきたかばんが妙に命綱みたいに思えちゃう
みたいなことあるな
っていう感じ。
中身はたいしたもの入ってないんですけどね。

ハートを入れたうた。
一佇さんの
朝刊をたたみて置きぬ誕生日なりし昨日の夕刊の上
一読して、
うわっこれ好きだ!って思いました。
朝刊をたたんで昨日の夕刊の上に置いた
という、ただそれだけのことではあるんですが、
そこに
「誕生日なりし」という一語が入ることで、
ぐわっと作者の言葉にしない思いが滲むような気がします。
「誕生日なりし昨日」は、
単なる昨日とは違う重みをもった一日だったはずなんだけど、
そこは言わないで、
誕生日の翌日、つまり平常の日の朝刊を置くという。
日々が淡々と積み重ねられていくようで、
うん、そういうものなんだっていうところに
しみじみしたものを感じますね。
でも、
単に矢継ぎ早に日々が過ぎていくっていうワケじゃなくて、
ささやかな個人的な節目の日もあるし
賑やかなイベント事のある日もあるけど、
それも過ぎていく、みたいな、穏やかさ。
あとね、
左から順に読んでいったときに、
575の三句目までを一気に読んで
「朝刊をたたみて置きぬ誕生日」
で、誕生日の朝なのか、と一瞬だけ思わせて
「なりし」とその誕生日がすでに過去のものだと分るところとか
あっと印象づけられちゃうところとかも
うまいなってぐっと来たポイントでした。

音符を入れたうた。
深影コトハさんの
本物はもう飼えないという祖母が瞳を預ける犬の置物
「本物はもう飼えない」という言葉から、
この「祖母」の生活環境なんかが覗われて、
そこが切ないうた。
どの生き物でもそうではありますが、
特に犬は飼うのに体力がいりますよね。
多分、それをサポートしてくれる体力のある家族と
一緒には暮されてないんだろうなとか。
散歩も毎日はさせてあげられないとか、
それぐらいなら、生き物を飼わない方がいいって
そういつごろかに決断されての
その代りとしての「犬の置物」なんでしょうね。
切ないんだけど、
ホントやさしさに溢れてるところがすてきなうたです。
まず、
本物の犬は飼わないと決断された、
本物の犬に対してのやさしさ、
本物の犬に代るものではないはずの置物を、
それでもちゃんと愛おしく思うやさしさ、
それと、
そんな祖母を見る主体のまなざしのやさしさ。
「瞳を預ける」っていうフレーズが
すごく好き。
置物を見る祖母の視線にやさしさを感じとったからこその
「瞳を預ける」って表現だよなぁって思います。

真香さんの
丸い目で朝な夕なに慕わしく吾を見上げる君は箸置き
面白いうただなって思いました。
主語になるものを明かさずに
ずずっと詠んで行って、
最後、結句でそれが何かを明かす
っていう形式は
面白さを演出してる感があって、
わたし的にはあまりハマらないなって思うことがあるんですが、
このうたは面白かったです。
「君は箸置き」が絶妙にポップじゃないですか。
口語と文語が入り混じった文体ですよね。
「丸い目で」っていう口語で始まって、
文語、しかも「朝な夕な」「吾」という、
やや古めかしい表現
(「吾」は短歌ではよく見かけますけども)
を挟んでの
「君は箸置き」。
うーん、上手くいえないけど、楽しいです。
で、「慕わしく」見上げてるって見るところに、
主体のこの箸置きに対する愛着が覗われて、
そこも好きです。
たんなる食器の一つじゃなくて、
ここ最近めっちゃ愛用してそうって気がします。


はい、
それでは今回の票を入れなかったうた。
塾カレーさんの
内湾にうねりの届く昨日今日わたしの傘の置き場所がない
そう、
今回は最初からここで塾カレーさんのうたについて書く!
と決めていたんですが、
正直、選をしている時から、
これが塾カレーさんのうたではないか
そして、出来ればその予想は外れてほしい
と思ってました。
それは何故かというと、
非常に不安定な読みしか出来なかったから。
うん、わたしにとって難しいうたでした。
まずは、このうたからイメージしたものから書きます。
「内湾にうねりの届く」から、
先月の北海道の台風を連想しました。
(だから塾カレーさんかなって単純に思ったという)
他の地域にも台風とか天候の荒れはありましたが、
北海道に大きな台風は珍しいっていう
そういう強い印象が残ってたからでしょうね。
「内湾にうねりの届く」は
やや迂遠な表現のような気もしますが
海が非常に荒れているような印象なので、
かなりの悪天候なのかなという連想。
でも、大人になるとなにかしら
悪天候の中でも出掛ける用事はある。
で、びしょびしょの傘をどこかに置きたいんだけども、
すでに傘立ては他の人の傘でぎっしり、
あるいは傘立て自体が設置されていないって感じで、
このびしょびしょの傘の置き場所がない
っていうか、
びしょびしょの傘を持ったままでは
自分の身の置きどころがない……
みたいな感じかな、と。

いや、うーん
ちょっと待って
あえて「昨日今日」には触れなかったけど、
この「昨日今日」が
わたしにとってのこのうたの鑑賞のネックになるんです。
体言止めだし、一首のど真ん中に置かれた四文字熟語だし。
無視するわけにはいかないような置かれ方だけど、
どう重視したらいいんだろうって。
多分、「昨日今日」は、
上の句に付くフレーズと思うんですが、
そうすると、前述したようなうたとは
ちょっとニュアンスが変るような……。
「内湾にうねりの届く」と
「内湾にうねりの届く昨日今日」は
別ものって気がします。
前者は情景を詠んだ言葉だけど、
後者はそんな内湾の景に対する主体のまとめ
みたいな感じ。
そうすると、
「わたしの傘の置き場所がない」という主体の嘆き(?)の
臨場感をそぐかなぁ。
あれ?
もしかして置き場所がないのも昨日今日の出来事なのかな
っていろいろとぐらついてしまって、
わたしにとって情景をクリアに想像することの難しいうたに
なってしまった感じです。
「わたしの傘の置き場所がない」って
わたし好みのほんのりしたトホホ感があって、
すごくいいフレーズだなって思うんですけども。
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