プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

うたの日(10月10日)


10月10日のお題は「自由詠」
全室「自由詠」なんですが、
わたしは最後の部屋に投稿しました。

「自由詠」
意地悪な姉さんたちとまま母のいない方の人生を生きてきました(しま・しましま)
須磨蛍さんから評を頂きました。
そうですね、たしかに四句目の字余りは多すぎました。
でもどの言葉も削れないーって今なってます。
一度全部分解して、再構築したほうがいいのかな。

ハートを入れたうた。
梶原一人さんの
玉入れの玉早々になくなった僕らの空はすこし明るい
このうたを読んだときまっさきに
玉を投げ入れていた玉がなくなった、
と読んでしまって、
全くそれ以外の情景を思い浮かべなかったんですが、
ほかの方の評を見て、
あっ、そうか、
籠に入った玉を数えながら出してって、
それが「草々になくなった」って
たしかにそういう場面とも思えますね。
っていうか、そっちの方がナチュラルだろって
思いました。
でも、こう、
競技中に見上げる空ともう投げるものがなくなった空との対比は
どの場面だとしてもいいなって思うんですよね。
ただ、勝ち負けでいうと、
はっきり違う結果になってしまうので、
「すこし明るい」の心理的な部分は、
かなり違っちゃいますね。
うーん、そう考えると難しいな。
でも、秋の空の高さと明るさの清々しさと、
どことなく虚をつかれたような雰囲気が
ホントすてきだなって思いました。

音符を入れたうた。
有櫛由之さんの
島を出る覚悟のやうに強い眼でコーヒーに湯をゆつくりそそぐ
このうたも、
結果発表後にほかの方の評を読んで、
あっ、というかあれっと思ったうたでした。
わたしは、「強い眼でコーヒーに湯を」注いだのは、
主体ではなくて、
主体の目の前にいる人物って思って読んだんですが、
どうなんでしょうね。
自分のことを描写するのに
「強い眼」って、
なかなか言えないんじゃないかなって思って、
これは主体がじっと見ている人なんじゃないかな
って読んだわけですが。
「島を出る覚悟」を固めるための時間のような、
コーヒーを入れるゆっくりした動作。
この人は島を出て行くんだなって思いながら、
それを見つめているんだなって思うと、
それまでに積み重なっていただろうドラマを感じさせて
いいなぁって思いました。

雀來豆さんの
私は、窓がひとつ欲しい 廃線を横切る鹿ときみを見るため
うたの日に
今見たいものがその二つしかないのかなって思うと、ちょっとさみしい窓ですね。二句目までのリズムの乱れが、うたにならない呟きみたいでいいなって思いました。
とコメントしましたが、
見たいもののうちの「廃線を横切る鹿」が
すごく印象的だなって思いました。
色々想像しちゃいますよね。
窓が欲しいってことは、
それは今「私」がいる家だと思うんだけど、
そこから見える(はず)の所にあるのは
「廃線」で
見たいものが
それを横切る「鹿」なわけです。
森のはずれの一軒家で、
その近くにはかつてはそこと町とを繋ぐ線路が生きていた
みたいなところを想像します。
メルヘンといえばメルヘンだけど、
心理的に引きこもっている人の場所みたい。
で、そこから見たいものが
「廃線を横切る鹿ときみ」の二つだけっていう。
「きみ」とすら繋がってはいないでいいんだっていう感じがして
さみしいなって思いました。

椋鳥さんの
人生にきみがいるならもう少し健康的に生きてみようか
この日書いたコメントのほとんどが、
あっ、もしかして読み違えてるかな
って思うところがあったんですが、
さすがにこれは読み違えてはない、
と思います。
歌意は一目瞭然ですよね。
誰かがいてくれるから、
いてくれる間だけでも生きたい、
より良く生きたい
って気になるのって、
当り前のようでいて、
そういう「きみ」が存在することの幸せって
なかなか得られないような気もします。
そして、
照れ隠しの迂遠な表現だとしても、
きみがいてくれてよかったと
思ってくれる人がいる「きみ」も羨ましいなっておもいます。

うにがわえりもさんの
目の前がきれいな花でいっぱいに 湯気たちのぼるのりたまごはん
ん、読み間違ったかな?
いや、わたしはこう読めちゃったんだし……
これは読み違うってことはないだろう
とか、
今回の感想を書きながら色々揺れ動いてしまいましたが、
少なくとも、このうたに関しては
「読み」のブレみたいなものは気にしない事にしました。
なぜなら、
ちょっとどういうシーンなのか
未だに掴めてないから。
ただ、「のりたまごはん」が目の前にあるんだなって
それはわかります。
湯気のたつご飯って、
それだけでも幸せの象徴みたいなんだけど、
それが
「のりたまごはん」であることで、
なんとなく子供のココロで感じる幸せ
みたいな気がします。
○○だから幸せみたいな理由がなくて、
ただ幸せな気持が湧き上がってくる、みたいな。
でも、なんだろうな、
幸せでいっぱい過ぎて、
なんか読んでて不安になってしまう。
そのほんのりした不安な感じが魅力でした。
スポンサーサイト

<< うたの日(10月11日) | ホーム | うたの日(10月9日) >>


コメント

うわー、しまさんを誤解させるようなコメントをうたの日に残してしまって、本当に申し訳ないなって思うんですけど(汗)、有櫛さんの一首に描かれている人物は、私も主体ではないと思ってました。だからこそ、「主体」ではなく「主人公」と書いたんですが、、ちょっと(いや、かなり?)分かりづらかったですかね。混乱させてしまって大変申し訳。

Re: タイトルなし

いや、そうかそういう見方もあるかもーって思ったんですが、塾カレーさんも主体がコーヒー入れてると見なかったんですね。ずしっと重さのあるすてきなうたでしたねぇ。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。