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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(10月16日)


10月16日のお題は「黄昏」「黒糖」「紅葉」「茶髪」でした。

「紅葉」
わたしたちは火に飢えていて紅葉の燃え立つような朱にも触れる(しま・しましま)
村田馨さんから評をいただきました。
はい、「紅葉」を「燃える」と表現するというのは
非常にベタです。
わたしも、俳句でそういう表現があったら、
多分問答無用でスルーするかと思います。
そんなベタな表現から、
逆にリアルの「火」が引き出せたらおもしろいな
っていうのがこのうたの始まりでした。
ちなみに「紅葉」は、
「もみじ」と「こうよう」と二通りの読み方がありますが、
このうたの場合は「こうよう」と読んでほしいです。
そして「朱」も、
「しゅ」ではなくて「あか/あけ」と読んでほしい。
あか、あけ、その辺はどちらでもかまいませんが。

ハートを入れたうた。
淡海わこさんの
つべたいと差し出すお手々はもみじ葉のようだ手袋編んであげるね
幼い子供の手を紅葉のようだとするのは、
これもまたベタです。
ベタっていうか、
紅葉のような手というのが慣用句として
辞書に載ってるぐらい。
でも、それに
「つべたい」っていう子供のそのままの言葉と、
「手袋編んであげるね」というアンサーが乗っかって、
ほわーっと気持が温かくなるようでした。
「お手々」「もみじ葉」「手袋」「編んで」(手編み)
と、手に纏わるワードが並ぶところも
あったかい感じ。
一つだけ難を言えば、
「お手々」という表現がやや気になるかも。
「つべたい」という言葉や
手が「もみじ葉のよう」というところから、
この手が子供のものだっていうことはわかりますし、
何より、
「もみじ葉のようだ」というかための言葉は、
主体の心情だと思われるので、
「お手々」とそこだけ幼い言葉になるのは
ちょっと違和感があるかなぁって。

音符を入れたうた。
一〇〇八さんの
ワイパーにつかまっているもみじ葉がずっと手を振る ずっとさよなら
車のワイパーの端っこに、
はらりと落ちた紅葉の葉っぱがひっかかってて、
発車させた後も飛ばされずに、
ずっとフロントグラスの端っこでひらひらしてる、
みたいな情景かと思います。
これも、
「紅葉のような手」という慣用句からの連想
かも知れません。
その状態を「つかまっている」と言い、
「手を振る」と言ってるところとか
そんな感じがします。
わたしがこのうたでいいなって思ったのが
結句の「ずっとさよなら」。
一マスあけの「ずっとさよなら」が
ホントいいなあ。
最初主体は、
もみじの葉がひらひらしているのを
「ずっと手を振る」と見て、
その後、
あ、これは「さよなら」なんだ
って気が付く、みたいな時間があったような気がします。
で、
「ずっとさよなら」。
「さよなら」って一過性っていうか
別れのその場だけのことだと思うんですが、
それが「ずっと」続いてるっていう矛盾。
何か辛いことを、
ずっと目の前に突きつけられているようにも思えて、
なんだかさみしいというか、
つらい情景だなあって思ったりしました。
実際の景は、多分秋らしい微笑ましい情景だと思うのに、
「ずっとさよなら」と結論付けられている意外性が
いいなって思いました。
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