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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(10月18日)


10月18日のお題は「墓」「足」「外」「離」でした。

「外」
受けて立つとは手を汚すこと不器用にアサリの殻を外しつづける(しま・しましま)
なんかでっかく出ちゃった気がしますが、
実際、受けて立つって、あんまりカッコいいものではない
ような気がしてます。
わたしのもう一つのブログの方で、
おととしの暮れに書いた記事に、
「諦めるとは受けて立つことではないか」
ってのがありますが、
まあとにかく受けて立つ、腹をくくる、みたいなことは
大なり小なり日常に溢れてますが、
少なくとも私の場合は
たいがいかっこ悪い感じですね。
ちなみにホント不器用なので、
ボンゴレのアサリもつい手を使ってしまいます。

ハートを入れたうた。
たかだ牛道さんの
日の暮れて外回りより戻り来ぬ ほほゑみを脱ぐ鏡のわたし
このうた、
わたしは会社に戻ったと読んだんですが、
どうなんでしょうね。
「外回りより戻り来ぬ」ですから、
外回りから直帰、ではないような気がします。
で、そこがすごく面白いなと思ったんです。
対人用の、よそいきの外面、
そういうものを我が家に帰ってやっと外す、
みたいなことってよく見かけますよね。
それだけに誰もが共感するところだとも言えますが。
それが、自分の家ではなくって、
まだ会社っていうところが、
おおーって驚きでした。
ここで全部の鎧を脱ぐわけではないと思いますが、
営業用の「ほほゑみ」だけでも
会社で外すことができる。
ある程度、会社にホーム感があるんだろうなって気がしました。
それを脱いだら、
リラックスした顔になるのか、
仏頂面になるのかは分りませんが、
それがそのまま出せる、ってことですよね。

音符を入れたうた。
小川けいとさんの
君はもう外側にいて冷めた目で私がたたむ傘を見ている
うわー想像するだけでもう、
なんかいたたまれないような情景って思います。
「もう外側にいて」「たたむ傘」
ってことは、
少なくともさっきまでは同じ傘の内側に居たんだと
思われるんですが、
目的地に着いたのか、
あるいは雨があがったのか、
二人とも傘を必要としなくなった、
って情景ですよね。
傘をたたむのが主体ということは、
傘を掲げていたのも、もともと傘を持っていたのも、
主体、ということと思います。
この「君」が、
主体とどういう関係にあるのかはわかりませんが、
たまたま行き先が同じで、
傘が主体のもっていた一つしかなかったから
仕方なく相合傘になってしまった知人とか同僚、
みたいな距離感ではないだろうなって思います。
多分、想像ですが、
そういう人なら、なにかしら言葉があると思うんですよ。
単純に感謝の言葉だとか、
間をもたすための軽口だとか、
なにかしらね。
ところがこのうたの「君」は
「冷めた目で」「傘を見ている」という。
なんだろ、この感じ。
それに気づいてしまう「主体」がまた、
うーん、なんかいたたまれない。

潤さんの
戦力外通告を受けみずいろのサマーワンピースは頽(くずお)れる
着用してない状態の衣服を詠む
って色々とあると思いますが、
「戦力外通告」を受けた服って
面白いなぁって思いました。
「頽れる」っていうのは、
ショックの余りその場にへたへたとしちゃう
みたいな言葉ですよね。
そうか、そういう漢字を使うんだ
ってちょっと勉強させてもらいました。
って、ちょっと脱線しましたが、
夏用の薄手の生地のワンピースを、
うーんこれは、
もう着ないな…って床に落とした状態でしょうか。
いかにもサマーワンピースの質感っぽいです。
このうたで特に面白いなって思ったのは
「戦力外通告」をした(と思われる)側が、
された側に成り代わってそのショックを表現してる
っていうちょっと皮肉なところ。
でも、その皮肉さが、あんまりつよくないのは
「みずいろのサマーワンピース」のもつ
明るさとか爽やかさかも知れないなとか
思ったりしました。
ちょっとリズムが悪いのが気になりましたが、
面白いうたでした。

おたまじゃくし先生さんの
節分でない日も僕ら思ってる とにもかくにも鬼は外って
このうた、
なんともいえない軽さが魅力的だなって思いました。
まず「節分でない日も」て
いきなり唐突ですよね。
で、「鬼は外」。
「外」っていうお題から「鬼は外」が浮かんできたのかな、
とにかく「鬼は外」だったのかな
ってぐらいの唐突さなんですが、
あーたしかにそれはあるねってなっちゃって
そこもちょっと面白い感じ。
「鬼は外」と「節分」。
もともと「鬼遣い(おにやらい)」って宮中行事だったんですよね。
疫病を蔓延させる鬼を払う、みたいな。
たしか岡野玲子の「陰陽師」にも
そういうシーンがあったような。
まあそれがだんだんと一般化したと。
そうやって行事的なアクションを起こすのは節分の日だけだけど、
いつだって鬼=負の要因は
外に出てって欲しいし、
もっと言えば外にあってほしい。
そうおもうと、
「とにもかくにも鬼は外」だよねぇ。
とか思いつつ、
このうたはそういうぐだぐだとした鑑賞を
振り払うようにふわっとかるい詠み口で、
そこが魅力的だなあって思います。
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