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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(10月21日)


10月21日のお題は「明日」「鍵」「柿」「月経」でした。

「鍵」
簡単に傷つくきみの純真にうすく傷つく革のキーケース(しま・しましま)
自分が優しくないなって思うのは、
あえてこういうことを詠んでみたくなるところかも
って、二日ほど経てそんなことを考えます。
あっ、そういうことで傷ついちゃうんだな
っていうことがたまに
やってられないなって気持になってしまうことがあります。

ハートを入れたうた。
木蓮さんの
ミッキーのキーホルダーが揺れている 風も君もない空っぽの部屋
もともとは君がいた部屋。
主体と「君」との関係性は分りませんが、
君と一緒にくらした部屋を出て行くところと読んでもよさそうだし、
そうじゃなくて、
何かの理由で君がその部屋を出て行って、
空き部屋になってしまったのを見ているとも読めます。
かつてはその部屋には君がいて、
ものが置いてあって、
窓を開ければ風が入ってくるし、
窓が閉まってても君がささやかな風を立てた。
そういうのがすべて過去のものっていう
喪失感みたいなのが、
直接的でつよい詠嘆ではなくて詠まれてるところが
いいなって思いました。
ミッキーのキーホルダーは、
君の趣味だったのかな。
「ミッキーのキーホルダー」は
裸の鍵よりもどこか無個性な感じがして、
空虚な感じがより漂うようにも思えました。

音符を入れたうた。
志稲さんの
適正な数も重さもとうに超えやぶれかぶれのキーホルダーだ
うたの日で
持つ鍵が多くなる程、責任とか所属とかに縛られていくような気がします。自分の適正な鍵の数っていうのはひとそれぞれだとは思いますが、キーホルダーにも主体自身にもたくさんの鍵がぶらさがって重たいって感じでしょうか。「やぶれかぶれの」というのは主体の気持でもあるんだろうなって思いました。
とコメントしました。

票は入れなかったけど、
気になってたのが
塾カレーさんの
鍵穴に鍵を差し込むときにふとわれは産まざることを思へり
うーん、これね。
「われは産まざることを思」うって
主体が男性なのか女性なのか
そこでこのうたの持つイメージががらっと変るような
そんな気がするんですよ。
「産まないことを積極的に選択した」
「結局産まないということになってしまった」
「産めなかった」
「そもそも産めないのが当り前ではあるけども」
それぞれ、違うと思うんです。
「鍵穴に鍵を差し込む」
出るところなのか入るところなのか、
それはどちらでもいいのかも知れないけど
わたしはパッと夜帰宅してきたシーンを想像しました。
一人暮らしで、
自分で鍵を開いて入らなければならない。
そこにふと孤独感を感じ、
自分が子供を持たないことに思いが至る、
みたいな感じをまず思ったんです。
でも、
単なる孤独感とは違うような気もします。
「産まざること」に何らかの感慨があるわけですから。
で、ここで、
主体が男性か女性か、
少なくともその手がかりがあればなって
そう思ったわけです。
作者は塾カレーさんで、
それが分ってしまえば、
ああ、これは男性視点のうたとして読んでいいんだな
ってわたしの気も楽になって、
このうたの「ふと」が
ホントにふっとそういう思いを起こさせた、
痛みみたいなものよりは
ペーソスとほんのりしたユーモア、
みたいなうたとして読んでもよさそうだ
って安心できるような気がします。
作者がわかって安心して好きだっていえる
っていうのも変な話かも知れないけど。

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