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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(11月16日)


11月16日のお題は「白菜」「銀杏」「黒猫」「青空」でした。

「銀杏」
冗談のようにあかるい土曜日の銀杏並木だ 走ってぬける(しま・しましま)
荻森美帆さんに評をいただきました。

ハートを入れたうた。
冬桜さんの
銀杏をペンチで割った父親の腕の血管すこしこわくて
幼い頃の回想のうたと思いました。
実はわたしはぎんなんを割った経験がないんで、
どのぐらい力を込めないと割れないものなのか
わからないんですが、
このうたの感じでは、
コツがいるのか、力がいるのか、
そう簡単に割れるようなものでもないのかな。
そういえば、
うちの実家はトンカチで割ってたような……。
それはどうでもいいんですが、
このうたでは、
ちょっと固い殻だったのか、
「父親の腕」に「血管」が浮くぐらい、
力をこめておられたんでしょうね。
それの様子を、
幼い主体は、「すこしこわく」感じたっていう。
普段は見ない父の姿だったんだろうな
って思います。
「父親の腕の血管」、
その一点だけの視点が
なんか鮮やかでいいなって思いました。

音符を入れたうた。
太田宣子さんの
銀杏の翡翠摘まんでまぶしげに無口なひとの無口にゐたり
「無口なひとの無口にゐたり」
うーん、上手いなぁって
思いました。
「ゐたり」の「たり」の使い方とか
もうすごくいいな
って。
わたしは、
この「ゐ」るのは、
主体と読んだんですが、どうなんでしょう。
今になって、ちょっとぐらついてますが。
「銀杏の翡翠摘まんでまぶしげに」
しているのは、このうたに登場する「無口な人」で、
主体は、そうやって静かに「まぶしげ」な様子でいる人の
その無口圏内で、やっぱり同じように静かにしている
みたいな。
そういう感じに読んだんですが、
もしかしたら、
無口な人が無口でいる、
ということなんでしょうか。
誰かが、何か遠い幸せな(と思われる)記憶を、
黙って思い返している場に、
なにか磁力があるようで、
そこがすごくステキだなって思いました。

ヤシローさんの
それからというものイチョウはだんまりではらりはらりと葉だけ落とした
「それから」という言葉って、
何かパワーがありますよね。
え、どこから?いつから?
みたいな突っ込みを許さないような。
あと、とにかく一首の口当たりがよくて、
声に出して読みたくなっちゃう。
それにしても、
改めて考えてみれば、
イチョウって確かに、
葉を落すまでは、
華やかな木ですよね。
信じられないぐらい黄色一色にそまって、
とにかくドラマチック。
それが、落葉しはじめとたん、
「だんまり」になって
「はらりはらりと葉だけ落と」す。
うん、
なんとなくですが
「だんまり」がハマるような気がします。

ぽつりさんの
捨て去ったすべてが黄金に輝いて銀杏は後悔しないだろうか
このうたでは、
そのイチョウが落とした葉を、
もしかして自ら捨ててしまったものだけど、
こんなに美しいんだから、
捨てたことを「後悔しないだろうか」と
ふと思う主体なわけです。
もしかしたら、
もしかしたらですが、
主体自身が何かそういうような種類の後悔を
かつてして来たんだろうか、
って気がします。

鳴瀬 諒さんの
抽斗の祖母のペンチは錆びついて もう銀杏を剥くこともなく
「祖母のペンチ」というのは、
なかなかミスマッチな組み合わせのような気もしますが、
それが「銀杏を剥く」ためだと分ると、
すとんと納得しますね。
マイペンチを持つ祖母っていうよりも
家族のためにせっせと銀杏を割っている祖母。
そのペンチも今は抽斗の中で錆びついてしまってる。
持主の不在を感じて切ないですね。
しかもどうやら、
誰かが祖母の代りに使ってるわけじゃないようで、
そこがまた切ない気がします。
しっとりと切なくていいなって思ったんですが、
「錆びついて」「剥くこともなく」
と、
上の句も下の句もいいさしのまんまなのが、
なんとなく宙ぶらりんで落ち着かない感じがします。
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