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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
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うたの日(2月1日「蟹」)

めっちゃ久しぶりですが、
うたの日の感想を再開します。

2月1日のお題は「蟹」「星新一」「造語」「発」でした。

「蟹」
わがままなぐらいで丁度いいんだよ鍋をはみ出す蟹の足たち(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
ミルトンさんの
あっちゃんはまねをするなよ」沢蟹をとらえそのまま食べるじいちゃん
ワイルドですよね。沢蟹を捕まえてそのまま食べちゃうとか。
でも、単なるワイルドな食嗜好のあるじいちゃんっていうよりは、
もうちょっと奥行きがありそうって思いました。
深読みになっちゃうかも知れないんですが、
じいちゃん世代(作者の年齢にもよるかもしれませんが)って
戦中戦後の食糧難を経験した世代じゃないかって思うんですよ。
で、
じいちゃんが子供の頃は、おやつなんて用意されてなくて、
自分でとって食べたもんだ
なんて昔話と共に、実践してみせてくれたんじゃないかなあって
そんな風に読みました。
「あっちゃんはまねをするなよ」
っていうじいちゃんのセリフもいいですよね。
孫に対する愛情が感じられるあったかいセリフって思います。
で、
これは今現在のじいちゃんではないんじゃないかな
って。
そんな元気でおちゃめなことをしてたじいちゃんを
セリフごと回想してる孫あっちゃん。
双方向に愛情が感じられていいなぁって思いました。

音符を入れたうた。
ハナゾウさんの
夕焼けが背中に重い帰れないこのままここで蟹になりたい
あーなんかもうこれ以上動けないから、
ここでこのままいたいような気がする……
みたいな気持になったことあります。
だいたい帰り道で、本当はちゃんと帰りたいんだけど、
体が重たくて重たくてって感じで。
なので、あー、このうたの感じわかるなぁって思いました。
夕焼けってなんとなく圧みたいなのがある気がしますね。
「蟹」っていうのがいいなあって思います。
ちょろちょろ動く小さな蟹って、
なんとなく成りたいものとしては思いが籠ってないというか
軽い感じで、
ふっとそう思っただけ、みたいなそういう「なりたい」ぽいなって。
「背中に重い」「帰れない」に、他の生き物、
例えば成りたい界のメジャー所である「貝になりたい」だと
ずしっと重くて、本当に帰れそうもないし、
「鳥になりたい」だと、帰れないどころか、
人じゃなくなりたいって思ってるのかなって気がします。
ほんのりユーモアのある「蟹になりたい」、いいなぁ。
うたの日のコメントに、石川啄木を引き合いに出しましたが、
蟹で短歌というとやっぱり、
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

を思い出してしまいます。
で、啄木も、
泣きながら蟹とたわむれた後、
やっぱり夕焼けの重さに蟹はいいなぁとか
思っても可笑しくないなとか、
なんとなくそんなことを思ったりしたのでした。

セトリョーシカさんの
蟹工船くらえっ!それは蟹光線 バナナよ腐れ!それ果肉汚染
ゴー☆ジャスの
まだ助かるまだ助かる マダガスカル そーれ!ここ!マダガスカル!
のねたをふっと思い出させるような
勢いがあって面白いなって思いました。
字余りと句跨りが駆使してあって
ぱっと読んだ時はめっちゃ破調なんですよね。
定型を意識して改めて読むと、
実はそこまで破調になってないのに、
言葉遊びに徹してる所為か、
結句でダメ押しの字余りになってる所為か、
破調の勢いがあります。
それもなんだか面白かったです。
っていうか、結句の「果肉汚染」がホントに意表を突かれて、
あーやられたーって感じでした。

常盤このはさんの
兎でも亀でもなくて蟹なんですスタートラインにまだトッテチッテタ
「蟹」の題で、
いきなり「兎でも亀でもなくて」と
兎と亀が出て来るところが面白いなって思いました。
なんで兎と亀?って思うと、
「スタートライン」があるからなんですね。
兎がスタートダッシュして、亀が一歩一歩前進していく。
そして、蟹は
これがまだスタートラインにならんだところ、という感じかな。
この「蟹なんです」っていってるのは
自分のことを言ってるんだろうなって思いました。
兎とは言えないし、
だからって休まずじっくり真面目な亀というのも
なんだかおこがましい、
みたいなところで「蟹」なのかな。
スタートラインでまだわちゃわちゃしてるけど、
わたしだってちゃんとスタートラインにはいるんだよ、
みたいな。
それにしても「トッテチッテタ」が楽しい擬音だなって思います。
「トテチテタ」といえば、
進軍ラッパの音符で、
童謡「おもちゃのチャチャチャ」でも
なまりのへいたい トテチテタ
ってあって、
なにか並んでかちゃかちゃ歩くイメージがありますが、
「トッテチッテタ」は、
もうちょっとバラバラした感じがあって楽しい雰囲気がしました。
で、うたの日でも書きましたが、
下の句
「スタートラインにまだトッテチッテタ」
って、字余りなんですよね。
結句字余りでもたついちゃって、
せっかくの「トッテチッテタ」が楽しく味わいにくいような。
そこだけ残念な感じでした。

照屋沙流堂さんの
われわれの祖先が蟹でなくたって右か左についかたよるよ
さらりとユーモアを交えて詠まれてますが、
この「右か左」というのは、
政治的な思想の偏りのことなんでしょうか。
まあ、そうとはっきりかかれてないので、
どうとってもいいんだろうとは思いますが。
実際の姿勢的なこととしても、
政治的な思想であっても、
あるいは、右の人の意見か左の人の意見か、という
そういうことだとしても、
人ってど真ん中だけを選んで、
まっすぐ垂直に立って生きていくのは難しいですよね。
蟹がつつつーって右に歩いたり、
左へ歩いたりするユーモラスな姿を思わせて、
重くなりそうな話題を軽く詠まれてるところがいいなって思いました。
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