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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(2月3日「は」)


2月3日のうたの日は「福」「は」「内」「都々逸」でした。

「は」
もう一度こんどはゆっくり言い直す「は?」でかたまる笑顔の人へ(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
西村湯呑さんの
よそはよそ、うちはうちってきみが笑いここがぼくらのうちになった日
お題が「は」って難しいですよね。
ひらがな一文字なので、それ自体に意味があるわけじゃないので、
テーマ詠は出来ない感じ。
「は」を印象的に使ってあるかどうか、
今回はそういうことを念頭に入れて選をしてみました。
「よそはよそ、うちはうち」って、
うちのルールはこうだから!
って押し通すときの定番のフレーズですよね。
お母さんがよく言いそうな。
だからかな、なんとなく郷愁を感じる言葉でもあるなって
そんな気もします。
このうたでその言葉を口にしたのは「きみ」。
その後続くフレーズから、
「きみ」は主体の新しい家族となった人だと想像されます。
ただ一緒に暮らしはじめた、籍を入れただけでは、
感じなかった「ぼくらのうち」感が、
「きみ」の「よそはよそ、うちはうち」って言葉で、
ぐっと実感することが出来た
っていうことだと思うんですが、
そういう感じ方、好きだなぁって思います。
「うちはうち」って言われることで、
ああそうだ、ここはきみとぼくのうちなんだ
って実感する、
うーん、いいなぁあったかいなぁって思いました。
ちなみにこの日は2月3日、節分の日でした。
「福は内、鬼は外」の「うち」にも通じるようで
そこも面白いなぁって思いました。

音符を入れたうた。
ハナゾウさんの
崎陽軒シウマイ弁当食べ終えてはははこれからどう逃げようか
「ははは」は笑い声のはははですよね。
はははって笑い声、明るい笑い声とも取れますが、
乾いた笑い声とも取れます。
このうたの場合は
それに続く言葉が「どう逃げようか」なので、
そんなに明るくはないんじゃないかと思って、
乾いた笑い声として想像させてもらいました。
っていうか、
駅弁食べて、さてこれからどう逃げようとか
なんというノープラン逃避行!
って感じですが、
「ははは」の乾いた空虚な笑い声が
いい感じにマッチしてると思いました。
「崎陽軒シウマイ弁当」って、
食べたことはないけどアレですよね、
横浜の名物駅弁。
さまざまなイメージが凝縮されてるようなこの固有名詞と、
下の句の空虚な感じの対比が面白いなって思いました。

小向大也さんの
どうだろう、近づく春の足音を今年は猫と出迎えるのは
「どうだろう」という提案の入り方が目を引くうたでした。
「どうだろう」
相手に無理強いしないやさしい提案の仕方ですよね。
で、その提案の内容もステキ。
「近づく春の足音を今年は猫と出迎える」
端的に言えば(だいなしだけど)
春になるまでに猫を飼おうよ
ってことですが、
なんてすてきにやわらかい言い方なんだろう。
お題の「は」ですが、
このうたには「春」「今年は」「出迎えるのは」と、
三回「は」の文字や音が登場しますが、
わたしは「出迎えるのは」の「は」がキモじゃないかと思います。
「どうだろう」「~は」という構成の提案です。
これは「は」が動かない、
そんな「は」だったと思います。
ただ、ただですね
これはもしかしたらわたしの勝手な感じ方なのかも知れませんが、
「今年は猫と出迎えるのは」と
「~は」が近くに並びすぎてて、
なんとなく調べが悪いかなぁ……と。
でもうたの内容的に「今年は」というフレーズは、
確かに必要だしなぁ
って考え込んでしまいました。

松岡拓司さんの
「わたしが」を「わたしは」と変え、外を見る たとえば保坂和志のように
何かの文章を書いていて、ふと助詞が気になって書き換えた。
そういうことってありますよね。
うたの日のコメントに
『何か文章を書いていて、ふっとここは「が」ではなくて「は」で強調すべきだろうと思われた、というところかなと思ったんですが、小説なのかも知れないですね。』
と書きましたが、
「が」と「は」どちらがより強調する助詞なのかは、
使い方によって違うかもしれません。そこらへんはわたしの感覚です。
それにしても、その後が実はあまり明確には分かりません。
「保坂和志」という個人名、
どうなんでしょうね。何か共通イメージのある作家なんでしょうか。
助詞の使い方に独自のこだわりのある人という感じなのか、
あるいは「外を見る」の部分に関わるところなのか。
わたしは書く事に細かいこだわりがある、みたいな部分がそれにあたるのかな
とか思いましたが、
同時に保坂和志が窓辺で外を見ている情景とか想起しました。
と、思ったらもしかしたらそれは村上春樹の姿だったかも知れないな
とか思ってなんだかいろいろ申し訳ないような感じになってしまいました。

ミルトンさんの
アゲハチョウ二匹もつれて飛ぶさまに独りの影が濃くなってゆく
今回「は」の使い方にこだわって選をした、
といいましたが、
このうたに関しては
どちらかというと
「は」が見つからなかった……
と言うとうそになりますが、
「は」感の薄いうただったなって思います。
もう一つ、
わたし的に気になったのは、
季節感のずれ。
もちろん短歌は俳句と違って季節を詠むものではないんですが、
せっかく歌会というリアルタイムで進行する場なら
当季のうたがいいなぁって……。
歌会とかほとんど経験がないので、
そういうことは誰も気にしないんですよ
って言われればそれまでですが。
それでも、
音符を入れたのは、
単純に詠まれてる景が好きで、
共感するものだったから。
「アゲハチョウ」ですし、舞台は夏かなって思います。
強い日差しの中を、
大きい蝶がもつれながら飛ぶ姿は、
なかなか印象的ですよね。
しばらくそれを主体は黙って眺めてて、
それからふっと我に返ったとき、
自分自身の影の濃さに気がついた。
で、それがまるで孤独の濃さのように感じた。
みたな、そういう歌意かなって思います。
光と影、番と孤という対比が印象的で、
うーんこれはやっぱり票を入れたい!
と思ったのでした。


いつにも増して勝手なことを書き散らしてしまって
ホントすいません。
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