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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(2月10日「自由詠」)


2月10日のうたの日は「自由詠」。

全部のルームが「自由詠」ですが、
わたしは二番目のルームの「自由詠」に投稿しました。
ああまただまだ何も語られていない男が死んで始まる話(しま・しましま)
わーっと詠んで投稿したので、
後から見て、
うはーリズム悪すぎだなって反省。
もうちょっと整える必要のあるうたでした。

ハートを入れたうた。
藤 かづえさんの
僕にだけ聞こえる声でささやいて昨日しょうゆをこぼした話
やばい、妙にキュンとする!
っていううたでした。
うたの日に
「昨日しょうゆをこぼした話」一度聞けばいいかなって話のようにも思えるけど、好きな人の話す事なら内容なんてどうでもいいのかも。というか、もしかしたら途中でこらえきれずに自分で笑ってしまうとか、ちょっとした言葉の抑揚とか、囁き声でもう一度聞きたいところが内容以外にあるのかも。
ってコメントいれたんですが、
一晩置いてもやっぱりそんな感じがして
きゅんとしますね。
「僕にだけ聞こえる声でささやいて」
っていうお願いのしかたが、
逆にそうささやかれてるような気がする
というのもあるかも知れません。

音符を入れたうた。
倖さんの
あらこれは怒ってますねさっきからさけるチーズを裂かずに食べてる
怒ってる人を横目で見て……
みたいな感じがします。
「さけるチーズ」がいいですよね。
こう、ちまちまと(?)縦に裂いて食べる
手順がある楽しさみたいな。
普段は「さけるチーズ」をちゃんと細く裂いて食べる人が、
今は裂かずにかぶりついてる、
そんな姿を見て、
怒ってるなぁって思う主体。
「あらこれは怒ってますね」という、
実況風の言い方が面白いですよね。
例えば、二人は家族で、
しかも相手が怒ってる理由に心当たりがある。
っていうか、多分怒らせたのはさっきの自分の言動なんだろうな
ってわかってる人って感じに読みました。
いつも同じ事で喧嘩して怒らせてしまう
みたいな感じじゃなくて、
あーこんなことでこの人は怒っちゃうんだとか
へーこの人はこんな感じで怒りを表現するんだね
みたいな、
ちょっと距離を置いて眺めてる感じが面白いなって思いました。
ここでもっと怒りを強く表現するあいてだったら、
こんなに冷静に観察できないと思うんですが、
遠巻きに怒ってる様子を見て、ちょっと面白がってる感じが、
「あらこれは」だけじゃなくて、
さ音で頭韻を踏んだりする遊び心からも見えるような気がしました。

小川けいとさんの
煮込んでも味のしみない大根の半透明の確固たる意思
大根あるあるですよね。
煮込んでも煮込んでも、芯まで味がしみない大根。
ちゃんと半透明になってるから、火は通ってるのに。
この大根の芯に
「確固たる意思」を見たところがいいなって思いました。
俺は醤油なんかに染められないぜ
みたいな、うーん大根のくせに生意気な……
でも、そういう心意気は嫌いじゃないよ
うちのお鍋の中の大根じゃなかったらね
みたいな感じを想像して
ふふっとなっちゃいました。

砂の三郎さんの
マナティの悲しい目から受け取ったSOSに見覚えがある
マナティの目ってつぶらで愛らしいですよね。
マナティとかあと人魚として有名なジュゴンさんとか、
彼らは象と祖先を同じくするものなんだとか。
ちなみにクジラの祖先を辿ると、
こっちは象じゃなくてカバの祖先。
ほぼ同時期に海で生活する事を選んで、
片方は肉食に片方は草食のままって不思議ですよね……
って話が脱線しましたが、
象の目もつぶらで愛らしいけど、
どこか哀愁が漂っているような気がして、
そう思うと、
マナティの目も「悲しい目」と思える目なのかも。
悲しそうに見える目、
ではなくて、
例えば狭い水族館のプールの中にいることの悲しさとか、
絶滅を危惧されている種であることの悲しさとか、
マナティを悲しく見る主体の目が反映されているのかも知れません。
で、
このうたでいいなって思ったのは
結句の
「見覚えがある」
の部分。
なにか、ただ悲しいだけじゃない、
ハッとさせるものがあったんだなって思わせられました。
マナティの悲哀から、ぐっとここで主体にシフトする感じも
なんかいいなって思います。

遠井海さんの
少々の殺意はやむを得ないもの長く一緒に暮らしていれば
「少々の殺意はやむを得ないもの」
って言い切っちゃってるところに、
どきっとさせられます。
そうですかそうなんですか。
わたしも、18年一緒に暮らした家族と、
20数年暮した家族がいますが、
こいつ殺す死ねじゃなくて殺す
みたいな気持を抱かれた瞬間があったのかも知れません。
「殺意はやむを得ない」なんて
なかなか物騒な上の句に、
「長く一緒に暮らしていれば」
っていう条件が倒置法で置かれてますが、
倒置法になってるせいか、
どこか長閑な感じがして、
微妙なギャップがおもしろいなって思いました。
「少々の殺意」っていうのも、
よく考えるとへんな言葉で、
「強い殺意」とかたまに目にしますが、
「少々」って書かれると、
殺意の強弱ではなくて分量みたいにも思えて、
やっぱりなんか面白い。
面白いと思えちゃうというのは、
この家庭がそんなに殺伐としたものではないからなんだろうな
ってほっとしたりします。
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