プロフィール

しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

うたの日(2月23日「裸足」)


2月23日のうたの日は「古」「ジャンパー」「裸足」「やで」でした。

「裸足」
尿意まだ遥かなとこをさまよって裸足をつつむ毛布なめらか(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
史乃さんの
土足でも裸足でもなく靴下でなら踏み込んでも良いのだろうか
うたの日でも書きましたが
「土足」で踏み込むっていうと、
例えば誰かのプライベートとかもっと踏み込んだら心とか
そういうものにずかずか無遠慮に入っていく
みたいな感じですよね。
「裸足」で踏み込むっていうのはなんだろう。
特に慣用句みたいなものがあるわけではなくても、
べたっとした感じがしそうで、
ちょっとやな感じがするかも。
まあでも、
「踏み込」まれるとしたら、
何だっていやな感じがしそうで、
多分「靴下」だったらOKってこともなさそうとか
そんなことを思いました。
「土足」「裸足」「靴下」という、
踏み込む足の状態を三段階に分けてあるところが
リズム的にも面白いなって思いました。

音符を入れたうた。
ミルトンさんの
お母さん新聞はどこ靴下を履いたら夏が終わってしまう
夏が終るってほかの季節の終りにはない、
何か大きな区切りって感じがします。
うーん、大人になると別に夏が終ったからって
変ることなんてそんなに無い気がしますが、
小中学生の時の夏休みの終り、のあの感じを
ついつい思い出してしまうからでしょうか。
「靴下」は確かに「夏」にはそぐわなくて、
履いてしまうと、
それが日常へ戻る合図、
夏休みが終わって学校へ通う日々が始まる、
みたいな感じしますね。
ところで、
このうたの面白いところって、
「お母さん新聞はどこ」
「靴下を履いたら夏が終わってしまう」
っていう二つの、
繋がらないフレーズが繋がってるところだと思ったりしました。
ただ二つのフレーズがぽんぽんって置いてあるんじゃなくて、
「靴下」が二つを繋ぐ言葉みたいにあるのが
面白いなって思いました。
「お母さん新聞はどこ靴下」
まで読んだところで、
慌ただしい朝に、お母さんの手を借りて
必要な物品を集めてるところ……
と思いきや、
「靴下」の方は、
「履いたら夏が~」って別のフレーズの頭の言葉だった
って、なんか「靴下」の前後で話がすり替わってるみたいで
なんか面白いなって思いました。
愉快な面白さというよりは、
なんとなく不安な感じがするところが
興味深いなぁって気がしました。

鮎さんの
湯の中でゆらり揺らしてみせたとて人魚になれないあたしの裸足
お風呂に入ってて、
お湯の中で人魚の尾ひれみたいに揺らしても
みたいに揺らしただけの足は足、
みたいなことと読みました。
「人魚」になりたい「あたし」なんですよね、多分。
でも、
人魚から人になるのは人魚姫(アリエル)やらポニョやら
前例(?)がありますが、
人から人魚ってのはあまり聞きません。
実際このうたの「あたし」も
なれないわけですし。
センチメンタルな感じと
「人魚」と「あたし」っていう組み合わせが
なんか好きな感じだなって思いました。
ただ
「とて」っていう格助詞の使い方が
ちょっとわたし的には気になるんですが、
どうなんでしょうね。
そこだけ浮いてるような気がします。

薄荷。さんの
窓際で膝を抱えて月を見る 裸足の指は冷たくなって
このうたも、
「窓際で膝を抱えて月を見る」っていう上の句
センチメンタルな感じなんですが、
時々そうやって何かを見上げたいような気持になること
確かにありますよね。
下の句の
「裸足の指は冷たくなって」
の体(からだ)感がいいなって思いました。
センチメンタルになりきれない、
頭の片隅で妙に客観的になってる感じがしました。
スポンサーサイト

<< うたの日(2月24日「アリバイ」) | ホーム | うたの日(2月22日「滴」) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム