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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月3日「耳」)


3月3日のうたの日は「三」「娘」「耳」「サザン」でした。

「耳」
お忘れ物取扱所にいた人のその後をとんと耳にしません(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
小林礼歩さんの
耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し吾子は世界の音を操る
このうた、
一目みて、あっこれは凄い!
って思いました。
子供を見る大人の視線があって、
しかも子供あるある的な一般論ではなくて
「吾子」つまり我が子への視線と限定されてるところが
なんだかすごくいいって思いました。
子供、特に幼い子供って
聞きたくないとかうるさいっていうときに、
本当に自分の耳をふさいじゃう子がいますよね。
あれ、うるさいと思ってるアピールって思ってましたが、
そうやって自分で聞きたい音と聞きたくない音を選んでるんだ
って思うとそれはそれで、
なんかすとーんと理解できてしまいました。
「世界の音を操る」って表現もいいなって思いました。
「世界」って言っても、
この場合の「世界」は、
広い世界のことではなくて、その子の中の世界なんだろうな
そうやって少しずつバランスを取ってるんだろうな
って思わせられました。
実際にその子がどういうつもりで
「耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し」ているのかは、
わかりませんが、
そういうことなんだろうって親は捉えているんだろうな。
大人としての言葉遣いや視点で子供を詠むって
なかなか難しいところだと思うんですが、
そこがしっかりされてて、ホント凄いうたって思いました。

音符を入れたうた。
久保 直輝さんの
雪かきの手を休めると春はすぐそこだよという風の耳打ち
雪国ならではのうたと思いました。
この冬は全国的に大雪が降って、
例年ならば一度もすることがないことがおおい雪かきをしなくちゃいけなかった
みたいな地域もあると思います。
わたしの住んでる地域もそんな感じでした。
でも、このうたの「雪かき」は、
それとは違うんじゃないかなって気がします。
「春はすぐそこだよ」って「風」が教えてくれるんですよね。
雪かきが必要な大雪の中にも、
どこか春の予感が感じられるって
なんとなくいいなって思いました。
「風の耳打ち」っていう結句がいいなぁって思います。
風が擬人化されてることで、
メルヘンチックにも思えますが、
結句に体言止めで置かれてることで、
「耳打ち」の方が強く印象に残って、
実際に何か耳打ちされたような、
体感で分かった、みたいな感じがしました。
でも、「風の」なので、
その耳打ちも、はっきりしっかり分かるようなものではなくて、
かすかな、本当にかすかな春の予感って気がします。

鳥尾鮭介さんの
わるいのは私だけなの 食パンの耳を深めに切り落とす朝
うーん、
このうたって上の句をどう読むかで
かなり雰囲気の変わってしまううたって思いました。
「わるいのは私だけなの」
を最後に?がつく疑問として読むか、
フラットに読んで自分でそう認めてるところなのか。
わたしは前者で読みましたが、
もしかしたら
後者なのかも知れません。
後者だとしたら、
反省してしょんぼりしながらの「私だけなの」なのか、
はいはい、どうせ私だけが悪いんですよ
みたいなキレ気味な「私だけなの」なのか
また新たな分岐が出来そう。
上の句を受け止める下の句次第って感じですが、
「食パンの耳を深めに切り落とす朝」は、
上の句の方向性を定める手助けというよりは、
上の句で出された主体の感情を
補強するような感じに思えます。
なので、この上の句の読みのぶれそうな感じは
ちょっともったいないなって気がしました。
で、前者で読んだわたしなんですが
うたの日に
直接それを言えればいいのかも知れないけど、朝から言い争いはしたくない、みたいな感じでしょうか。持って行き場のないイライラが包丁さばき(サンドイッチ用でしょうか)にまで出ている感じ、でもちゃんと丁寧に作ってるっていうところがいいなって思いました。
ってコメントしました。

中牧正太さんの
ああ僕じゃだめな理由が端的で耳のかたちが芸術的だ
白状しますが、
実はこのうた、
最初「ああ僕がだめな理由が端的で」
と見間違えて鑑賞していました。
それで、男性が女性にばしばし叱られてるところを想像してました。
あ、違う!
って気付いたのは、
票を入れ終わって、コメントを考えていたときでした。(遅
その時のわたしのびっくりたるや……
やべっって思って、
改めて読み直したんですが、
よかった……それはそれで魅力的なうただった
ってわかってホッとしましたね。
しかし、「が」と「じゃ」、
たった一音の違いで、
はっきりと振られている情景が
ばしっと叱られている情景に変わっちゃうって
なんかすごいことだなって思ったりして。
改めて読んで、
わたしは自分をちゃんと振ってくれた(って言い方も変ですが)人の、
その「耳のかたち」を、
ショックを受けつつも、ついつい賞でずにはいられない、
みたいな感じかなって思いました。
綺麗な人って耳まで綺麗なんだろうなって。
振られてしまってるけど、
でも大好きなんだなって思って、
そこの部分は「じゃ」でも「だ」でも変わらないんで
やっぱり票を入れてよかったってうたでした。

高木一由さんの
パンの耳ばかり増えてく冷凍庫ニベアを塗った踵(かかと)が痛い
「パンの耳」を詠まれたうたは、
今回いくつかありましたが、
ほとんどがどちらかと言うと負の感じのするうたでした。
一つだけ、そうでもないうたがありましたが
それについてはあとで書くとして、
「パンの耳」と限定的に言う場合、
やっぱり本体から切り離されたそれっていうところ、
切り落とされる
っていう部分に、
なんとなく痛さが重なるんだろうなって気がします。
さて、高木さんのうたですが、
「パンの耳ばかり増えてく冷凍庫」
「ニベアを塗った踵が痛い」
と、直接は関係のない二つの事柄が並べてあるという形式。
最初、パンの耳ばかりが入っている冷凍庫を想像して、
凍ってはいるんだろうけど、
暖色系のパンの耳がいっぱい詰ってて、
なんとなくあたたかそうだ
って思ったんですが、
その後すぐに、
でもなんでパンの耳?
そんなに冷凍庫に溜まるものなの?
って考えて、
うーんこれは、サンドイッチとか作る時に
パンの耳を切り落として、
とりあえず今は使わないから冷凍しておこう
ってやつが、使われないままに増えていく
っていうことなのかなって思いました。
使わないのにもったいないから取っておく、
でも使わないから増えるばっかり
って、これはそうとう空虚な感じだなぁって思った時に、
一応手当てはしてあるけどもまだ続く踵のズキズキした痛みと
なんとなーく呼応してるかもって思いました。
望んでたのはこんなことじゃないんだっていう
空しさみたいな感じが漂うところがいいなって思いました。

西村曜さんの
食パンの耳に沿わせる舌 聞いてないのはきみも同じだろ、なあ
前述のパンの耳の、
これだけが切り落とされてないもの。
でもやっぱり、
何かしら明るさはないような気がします。
句跨りというか句割れ(?)が多用されてて破調なので、
その所為もあるかも知れません。
「食パンの耳に沿わせる舌」
という上の句、
体言止めで「舌」がクローズアップされてるようで、
なんかとてもエロチックにも思えますし、
同時に、普通はしない「パンの耳に舌を沿わせる」という行為の
なんとなく空々しい感じが、
いかにも人の話を聞かない人っぽい感じがして、
面白いなぁって思いました。
この舌の持ち主が、
「あなたは人の話を聞かない」
って主体をなじったんでしょうか。
それに反論として
「聞いてないのはきみも同じだろ」
って言って、
しかも「なあ」と強めに迫ったりしてますが、
「舌」なんか見てるところからすると、
これは下の句の反論よりも上の句の「舌」の方が強そう。
中牧さんの「耳」も西村さんの「舌」も、
関係ない相手の体のパーツに視線を取られちゃったら
負けっぽい感じがするんだなぁと思って
面白かったです。
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