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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <えんどうけいこさん>

えんどうけいこさんは、
わたしがうたの日に参加するようになる前からうたの日にいらっしゃって、
大人の女性像が浮かんでくるような短歌を詠まれる方、っていう認識でした。
単なる大人、でも単なる女性、でもなくて、大人の女性。
うたのなかで、きりっとしてたり、ふわっとしてたり、辛らつだったり、面白かったり、
その情景や表情はさまざまなんですが、
それでもうたのうらのところに一人の人物像が浮かんで来るような気がして、
なんとなく、なんとなくですが、
作者えんどうけいこさんがその女性と重なってイメージされてしまいます。

2015年02月20日『つらい』
寝に帰るだけの部屋でも玄関は桃の小枝で春のしつらい
「つらい」の題で、辛さではなくて
「春のしつらい」というのがすてきだなって思います。
「つらい」で素直に「辛い」なんて詠んでやらないよ、
みたいなところもすてき。
でも、うっすらと漂う日常の寂しさで「辛い」も少し詠まれているようで、
そこも好きです。
それにしても「しつらい」という古風な言葉が
美しくてしかも「桃の小枝」というところがいいなぁ。
「梅の小枝」でも「桜の小枝」でもなくて、「桃の小枝」。
明るさとふんわり感があるような気がします。

2015年09月16日『レモン』
唐揚げにレモン絞っていいですか 恋人になっていただけますか
大西泰世の川柳に
こいびとになってくださいますか吽(うん)
という句があって、
当ブログでこのうたについて感想をかかせていただいたときにも
ひいたんですが、
二年近く経ってまたこのうたを目にしたときに、
やっぱり大西の句が浮かんできました。
ただ、うたの感想は少しわたしの中で変化してて、
当時の感想を読み返すと、
あー当時そう読んだのかぁって
不思議な気持になりますね。
全然違う質問を二つ重ねてあるんだけど、
当時わたしは矢継ぎ早に重ねたと読んでいるんですが、
今読むと、
もうちょっとゆっくり重ねてある質問のような気がします。
かすかな期待を込めて、
でも言葉にはしない「恋人になっていただけますか」
だったのかもなぁって。

2015年10月18日『封筒』
長すぎる手紙を書いてしまうので封筒だけがいつでも余る
今、あんまり手紙って書かないですよね。
多分えんどうけいこさんの年代だと
(ってはっきり年齢を知らないんですが)
少なくとも少女時代は手紙と電話が
メインの通信手段だったと思うんですけども、
その少女時代を振り返ったうたというよりは、
やっぱり今現在のことなんじゃないかなって思います。
ごくたまにしか書かないからこそ、
あれやこれ、書きたい思いが溢れてどんどん長くなってしまう。
揃いとは言っても
便箋と封筒をバラで売ってるものもありますが、
このうたの雰囲気はセットになった便箋セットで
書かれているんでしょうね。
それも厳選した大切な便箋セットって気がします。
使えそうで使えない余ってしまった封筒が、
いくつもしまわれているようで、
ほんのり暖かいうたって思います。

2015年11月15日『スープ』
ラーメンのスープが全部飲み干せずおいしかったのにもう来られない
ラーメンスープを飲み干せないことが不義理、
ではないと思うんですが、
なんとなく不義理をしてしまったようで申し訳ない気持、
みたいな感じ、なんか分かるなぁって思います。
お店のルールでそういうところもあるかもですが、
主体本人のルールがそうさせているのかも。
へんな生真面目さがあって好きだなぁって思います。

2016年03月23日『せい』
叱られて夜が来るまでしゃがんでた セイタカアワダチソウの茂みに
このうたも強く印象に残ってるうたです。
読んだ瞬間、その情景がわーっと浮かんで来ます。
子供時代の回想のうたですよね。
わたしがセイタカアワダチソウが好きだっていうこともあるんですが、
秋の夜のもうずいぶん肌寒くなっているだろうに、
じっとセイタカアワダチソウの茂みに自分を隠してる
その心情を思う時、
愛すべき意固地さだなぁって思うんですよね。
夕方から夜にかけての秋空の色とか、
セイタカアワダチソウの緑と黄色とか、
色彩もあざやかで、ホント好きなうたです。

2016年07月30日『プール』
泳げないわたしはゆっくり沈むだろう レモンゼリーのプールの中へ
美しくてはかないイメージが浮かんで来るうたって思います。
光だらけのゼリーに、
ゆっくりゆっくり時間をかけて沈んでいく
って考えると、
なんとなくそれもいいなって思ってしまいそう。

2016年11月26日『キッチン』
キッチンの塩の在りかがわからない 一年ぶりの実家は寒い
父母のうたも、えんどうけいこさんに多いような気がします。
そのどれもリアリティがあって、
架空の作中主体というよりは、
作者本人と父母との関係性を詠まれているんじゃないかって
そんな気がします。
このうたは、直接的に父母を詠むのではなくて、
実家のキッチンが詠まれてますが、
「一年ぶり」という具体的な時間の隔たりが、
そのまんま心情としての隔たりになってしまった、
みたいな感じにぐっと来ます。
ある程度の年齢になると、
実家って帰ればすぐにそこの家の子供に戻れる場所ではなくなる
みたいな気がします。
かと言って、完全なよその家でもなくて、
その微妙な気持が、
より「寒い」と感じさせてしまうのかもなって思います。

2017年05月09日『ジャム』
お砂糖を減らしたジャムを煮るようなわたしはいつもすぐに振られる
だからって
お砂糖を大目に入れてジャムを煮ることが出来ない
わかってても相手に合わせられない
そんなラインがあって、
そこをどうしても譲れないと思ってしまう不器用さ。
切ない自嘲のうたって思いました。

2017年05月16日『グリーンピース』
スーパーにグリーンピースが出回って父だけがもう歳をとらない
父母を詠まれたうたが多いと書きましたが、
その中でも父親への挽歌が胸に迫ります。
亡くなった方、それが近しい人であればあるだけ、
折に触れて思い出されると思うんですが、
例えばこのうたの「グリーンピース」。
父が旬のものを食べるのが好きだったのかもしれないし、
特にグリーンピースが好きだったのかもしれないし、
もしかしたら、
家族がグリーンピースの豆ごはんが好きだったのに、
父だけは好きではなくて、豆ごはんが出るといつもぼやいていた、
そんな思い出だったりするのかも。
季節は巡って、またグリーンピースの旬が来ても、
父の思い出は新たに増えることがないんだって
もうあまり強い悲しみではないかもしれないけども、
心が痛む感じがします。

2017年06月29日『繋』
ドクダミの繁茂を許す庭にある犬小屋をまだ処分できない
このうたも切なくて心がずきっとさせられるうた。
普通の住宅でも、
人が住まなくなると急速に朽ちていくと聞きますが、
犬小屋ならなおさら、
侘しい光景になっているんじゃないかと想像します。
「ドクダミの繁殖を許す庭」ならば更に。
雑草を抜くために犬小屋に近づくことも
なんとなく躊躇われるのは、
まだその犬小屋の犬の不在が
受け入れられずにいるからかも知れません。
ところで
ドクダミって白い花を咲かせますが、
その花が十字の形をしていることとか、
ドクダミの名前の由来にもなっているという
毒・痛みに効く、という効能とか考えると、
ゆっくり時間をかけて乗り越えていく喪失の痛みと
この草ってとても合うなぁって気がします。
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