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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <佐藤博之さん>

佐藤博之さんのうたは、
なんといっても文語旧仮名、
そして正字という表記に特徴があるんですが、
まとめて読んで行くと、
楽器、野球、そして職業詠と思われる作品が多いっていう印象。
文語についても、平成の文語というよりも
昭和中期あたりを思わせる漢語多めの硬い感じの文語
という感じがします。
ちなみに、わたしの中で佐藤さんといえばこれ、
という岸上大作のうたは、
さすがに出しすぎかと自重しました。

2015年02月28日『ッ』
トラツクの製鐵所より出でけるが雨に聳つ湯氣を積みゆく
雨の中を製鉄所からトラックが出てゆく情景を詠まれたうた。
このうたで面白いなぁって思うのは、
湯気を「聳つ」と表現されてるところ。
冷え冷えとした雨の中を、
高く聳えるような湯気(のたつ何か)
を乗せたトラックが出て行く
みたいな情景を想像しました。
単に目にした景を詠まれたというよりは、
これもご自身の仕事に関係した情景かなって気がします。
「出でけるが」の「が」の使い方も
このうたの雰囲気に合ってて好きだなぁって気がします。
「だがしかし」の「が」ではなくて、
「のが」の「が」だと思うんですが、
語感が強めで「トラック」「製鉄」「聳つ」
といった硬質なイメージと
「が」で繋ぐ感じが合ってるなぁって思いました。
「トラツクの」の「の」で
「出でけるが」の「が」です。
文語のさらに硬め感あるなぁ。
そしてそれが似合ううたです。

2015年03月17日『火』
晝深くグラインダーが梁を伐る。朱き火花がしんしんと降る
「朱き火花がしんしんと降る」っていう
下の句が印象的です。
グラインダーで、火花が散るということで、
そういう方面に割りと疎いんですけれども
何か金属で出来た梁なんだろうなって思います。
鉄骨が組まれて出来ている何かの建物とか、
そういうものかなぁ。
「降る」だし、上の方で火花が散ってるのかなぁ。
なんて、わからないなりに情景を想像します。
で、
「しんしんと」という言葉ですが、
当てはめる漢字によって意味が違うようです。
この歌の場合は「振振と」というところでしょうか。
辞書を見ると、盛んなさま、とあります。
ほかに「深深と」があって、
一般的に使われるのはこっちの方かなって思います。
ひっそりと静まり返っているとか静寂とか
寒気が身にしみるとかにも使われるようですね。
この「深深と」の雰囲気もどことなくあるなぁ
って気がするんですよね。
もちろん
真昼間で、
しかもグラインダーで伐ってるわけですから、
ひっそりだとか静寂とかでは絶対にありえないんだけども、
凄い音(でも割と単調な)に晒されてると、
ふっと逆にしんとしているような心地になってしまう、
みたいなこともありそうだなぁって。

2015年04月01日『下』
干し方のこだはり違ふ妹の洗ふ靴下はく里歸り 
里帰り中の一こま。
主体も一人暮らしが長いのか、
洗濯物の干し方にもなんとなくこだわりがあって、
それは生まれ育った実家のこだわりとも違うし、
もちろん自分の妹のこだわりとも違う、
そういうことってありそうだなって思います。
なんとなく違和感。
でも、それが嫌だっていう訳でもなくて、
そうか、妹もそれなりにじぶんなりのこだわりがあって
洗濯物を干したりしてるんだな
っていう感慨だったりしそうで、
帰省ののんびりした感じともあいまって、
なんともいえない味わいがあるうたって思いました。

2015年04月24日『引っ越し』
空洞の寓居。カーテンなきままに書棚跡地を夕陽に晒す
こういう引越しの風景って、
昭和も平成もないっていうか、
とても普遍的な景だと思うんですが、
それでも言いたい。
めちゃ昭和感!
取り除かれた家具が「書棚」であるところとか
何かしら文学に取り憑かれた青年時代を
なにかあたたかくも侘しい思いで
振り返っているような、
そんな雰囲気がします。
例えば、大学生の頃から住んでいたアパート、
みたいな。

2015年05月12日『ひとり』
散髮の翌朝、ひとり襟足を剃り直さむとて背中を捻ぢる
昭和、というよりももう
大正あたりの私小説のような味わいがあって、
めちゃ面白いなって思います。
読点の置き方がやや散文的な感じで、
それがまた私小説のようで面白いって思います。
「捻ぢる」がいいですよね。
これは多分口語旧仮名遣いの終止形「捻ぢる」
ではないかと思います。
口語と文語の混じった旧仮名遣いっていうのが
また大正文学ぽくないですか?
わたしの偏見だけでしょうか。

2015年05月30日『感』
燒き目濃き莢より出づるそらまめの充足感の立ちのぼる色
「燒き目濃き」と、いきなり見た目重たく始まるので、
おおぅってひるむけど、
「やきめこき・さやよりいずる・そらまめの」
と、調べはとても滑らかで
「そらまめ」の語感の明るさが印象的。
濃い緑に黒い焼き色のついた莢から、
あざやかなみどり色が出て来る感じと
その流れがぴったりだなって思いました。
で、やっぱりこのうたのポイントって
そのあとの
「充足感の立ちのぼる色」
だと思うんですよ。
「色」っていう終着点に
ちょっとびっくりします。
「充足感」は視覚とか食感を想像させますし、
「立ちのぼる」で湯気か匂いと思わせておいての
「色」。
上の句で想像させたあの
莢から出てきたそらまめの明るいみどりいろが
ここにはっきりと登場するのかぁって感じでした。

2015年06月17日『くじら』
鯨加工工場直營食堂の飯盛る量のその豪放さ
このうたも視覚的に面白いうただなって思いました。
まず
「鯨加工工場直營食堂」っていう漢字群が
めちゃ面白いなって思います。
ここに来て正字の見慣れない感が
より面白く作用してるなって気がします。
もちろん作者の佐藤さんは普段から
正字を使われてるんで、
そういう意図はあまりないかも知れないんですが。
で、
そこで盛られるご飯の量が「豪放」と感じるほどだ、と。
量の多さもですが、
がつーんとただただがっつり山盛りにされてて
茶碗(というよりもどんぶり?)を
はみ出したってかまわない、
みたいなスタンスを感じます。
鯨の(元の)大きさとご飯の盛り方が響き合って
めちゃ面白いなって思いました。

2015年07月31日『毎』
アパートの一蓮托生。目覺時計が毎朝七時に響く
このうたも面白くて、
且つなんか貧乏くさくて
そこが魅力的でした。
壁が薄い安アパートとか想像します。
どこかの部屋の目覚時計が鳴り響くと、
「一蓮托生」でどの部屋にもその音が届いちゃう。
で、
このうたは
5・8/8・4・4・3
と分ければいいんでしょうか、
とにかく破調。
でもちゃんと短詩として感じられるのは、
上の句
「アパートの一蓮托生」で
すぱっと句切れが作られてるからでは……
と睨んでるんですがどうでしょうか。
しかもその体言止めの「一蓮托生」が
めちゃめちゃ効いてるなぁって気がします。
意外性とその後の描写からのすとんと腑に落ちる感じ、
面白いなぁって思いました。

2016年05月17日『駅』
ゆるく降る雨の匂ひに沈みたる地下鐵驛の階段くだる
このうたはやわらかな語感の
しっとりとした初夏の長雨の感じがすてきだなって思います。
「ゆるく降る雨の」あたりで、
地下鉄に下りる階段までの
地上の道を歩いてる感じがあって
「雨の匂ひに沈みたる」で
そこから地下鉄へ下りる階段へ入る動きと
言葉がシンクロしているような感じ。
「くだる」がひらがなにひらかれてるのも、
一首のやわらかさと、
梅雨入り間近の雨の感じが思われます。
梅雨のことを「卯の花くだし」って言いますし。

2016年12月31日『歌』
年越しの歌合戰の古き歌に合せて母が小さくささやく
このうたもやわらかくて、
そのやわらかさが母へのやさしさに繋がってるようで
いいなって思いました。
年末で帰省してるところとか想像しちゃいますね。
毎年毎年変わらない、年越しの風景。
その年の流行り歌ではない歌を、
母が小さな声で、テレビに合わせて口ずさんでいる。
おだやかでいい光景だなぁって思います。
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