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しま・しましま

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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <諏訪灯さん>

諏訪灯さん(むうこさん)は、素直で飾らない感じのうたを詠まれる人、
というイメージ。
その素直で飾らない感じは、
ご自身の周辺を詠まれているんじゃないかなって
思えるうただけじゃなくて、
題に寄り添って詠まれる感じもなんとなく素直な感じで、
一読してすっと詠みたいものが入ってくるような気がします。
ただ、素直すぎて全部言っちゃった……
みたいな感じになるうたもあるかなぁと思ったりもしますが。

2016年12月03日『我慢』
小姑に言いたいことを飲み込んで我慢するけど波風は立つ/むうこ
「小姑」、
お姑さんじゃなくて「小姑」っていうところが
なんともいえない微妙な関係でいいなって思います。
しかも、
「言いたいことを飲み込んで我慢する」
のにも関わらず
「波風は立つ」
という非情さ。
この「波風は立つ」と
ばっさりと言い切ったところに意外性があって
面白いうたって思います。

2017年01月12日『毛糸』
セーターを編んでみたくて買ったけど青い毛糸をほどくばかりで/むうこ
このうたも日常のとほほと言うには
ちょっと苦めな後味がいいなって思いました。
勝手に背景を想像しちゃいますが、
多分まだ手芸初心者。
辛うじてマフラーを編んだことがあるか、
あるいはそれすらもないか、
そんな感じの人が、
いきなり「セーター」という大物を夢見ちゃう。
あー、なんかそのイキナリ壮大さ、みたいなの
あるよなぁって思って自分の胸が痛いですね。
編み目がたがたでも、
鎧みたいにがっちりになっちゃっても、
とりあえず一着でも編み上げられればいいんだけど、
「青い毛糸をほどくばかり」
っていうのが
現実の辛さだなぁって思います。
この毛糸が「青い毛糸」なのもいいなぁ。
ぱっと「青い毛糸」っていうモノが具体的に想像されて
ちょっと編んでは解いてを繰り返して、
よれよれの毛糸玉状態なのかなとか
もしかしたら誰かへプレゼントしたかったセーターなのかな
とか、
モノからイメージが広がっていくようでした。

2016年11月23日『おにぎり』
三角は苦手と言う母作るのはいつも満月みたいなおにぎり/むうこ
母の、子に対する愛情と、
子の、母に対する愛情が
どちらも感じられて、
やさしくてほわっとあったかいうたって思います。
「満月みたいな」
っていう表現がいいなぁ。
三角のおにぎりを握るのが苦手な母への
批判めいたものは一切なくて、
おだやかで満ち足りた感じがします。
「三角は苦手と言う母/作るのは」
と二句目を少し字余りさせての体言止めにしてある
(あるいは助詞が省かれてる?)
のが、少々窮屈な感じはしますが、
「いつも満月みたいなおにぎり」
がすてきだなぁって思ううたでした。

2017年07月08日『豚』
ドイツでは幸せの印と聞いたから豚の小物を連れて出かける/諏訪灯
かわいいうただなって思います。
主体はこの外出に、どうしてもラッキーアイテムのパワーが欲しい、
そんな気持だったのかなって思います。
多分、主体がドイツとなにか関係のある人とか
そういうつながりはなくって、
ホントに単に「聞いた」から、
そしてたまたま「豚の小物」を持ってるから、
連れて行って何かしらの幸せのパワーをそこから得たい
みたいな。
「豚の小物」っていうざっくりした表現、
もしかしたらもうちょっと具体的だとより面白かったかもですが、
これはこれで、
「ドイツ」にも、その「豚の小物」にも
そんなに思い入れがあるわけではないんだけども
みたいなニュアンスがあるようで、
それはそれで面白いなぁって思ったりしました。

2017年07月17日『太陽』
ベランダの洗濯物を仕上げてる太陽光を調節したい/諏訪灯
下の句の
「太陽光を調節したい」
っていう発想が面白いうたって思いました。
なかなかそこで「調節」っていう発想にはならないなぁって。
色んなものが機械化されて、
痒いところに手が届くように
自分で調節できるようになってますが、
自然のもの、しかも太陽光。
太陽そのものでもなくて、太陽光っていうところが
なんか妙におかしみを感じます。
確かにねぇ
バスタオルとかがごわっごわになったりしますよね。
わかるー
でも、そう来るか
っていう面白いうたでした。

2017年07月21日『岸』
弟の水切り石は届くのに私の石には岸辺は遠い/諏訪灯
水切り遊びって、
上手い人はホント上手くて、
下手な人はもう全然って感じですよね。
石選びの上手さもあるんだろうけども、
フォームや角度、
いろんな条件があるんでしょうね。
で、
弟の方が上手くて姉の自分は下手だ
というのも、
割とある話だなって思うんですが、
下の句の
「私の石には岸辺は遠い」
っていう表現がめちゃすてきだなって思いました。
軽い絶望みたいなものがあって、
川遊びの一つについてのことなのに、
こんなに切なく響くんだなぁって思うと、
もしかして
「私の石には岸辺は遠い」のは、
水切り遊びに限った話ではないのでは
なんて深読みしてしまいたくなります。
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