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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <須磨蛍さん>

須磨蛍さんはうたの日の大先輩。
当ブログでもたくさん感想を書かせていただいてるんですが、
作者須磨さんご自身かどうかは別としても
主体を直接詠むというよりも、
身の回りを詠むうたが多くて、
それをまとめて詠んでいくと、
一人の男性の姿がうっすらと浮かび上がるような気がします。
題から自由に意識を飛ばせたような楽しいうたも
須磨さんのうたの魅力の一つって思います。

2015年06月09日『ビートルズ』
想像が贅沢になってしまう日を想像してる12月8日
題が「ビートルズ」で、
詠まれているのはジョン・レノン。
それもビートルズ時代のジョンでなくて、
「イマジン」であり、亡くなった日だ、というのが
気になってしまって、
うたの日では票を入れなかったんですが、
「12月8日」を軸にして読んでみると、
あーなんかいいなって思います。
12月8日、この日は、
ある程度お年を召した方だと
多分すぐに思い出される日じゃないかと思うんですが、
太平洋戦争開戦日でもあります。
ジョン・レノンは
「想像してごらん」と歌ったけれど、
12月8日に死んでしまった。
ジョン・レノンは
「世界は一つになる」と歌ったけれど、
彼の死後も彼の知らない戦争が起っていく。
いつか想像することすら「贅沢」になってしまう
そんな暗い未来を想像してしまう、
12月8日という日は、
そんな想像をしてしまうには
いやになるほど合いすぎてるなぁって思います。

2015年07月02日『沈』
実印に三十五年を背負わせて沈める沼からじゅくじゅくと朱
「三十五年」という具体的な数字から、
これはもしかして住宅ローンとか
そういう長期ローンなのではないかと思ったりします。
新居のための借金なんで、
もっと明るいイメージもあったかもしれないのに、
「背負わせて」「沈める」「沼」「じゅくじゅく」
って、
どうにもやばい雰囲気のフレーズが続きます。
いや、あっさりとは返せない金額の借金ですから、
このぐらいの悲壮感は背負っちゃうのかも知れません。

2015年09月19日『爆』
処理班の腕は拙い 放課後の道を散らかす爆ぜた鳳仙花
想像すると、
めちゃ可愛らしい小学生たちの姿が浮かんでくる、
牧歌的な光景なのに
「爆」「処理班」なんて
きな臭いフレーズで描かれてるところが
楽しいうたって思いました。
単に鳳仙花の実をはじけさせて、
その感触を楽しむ遊びとも思えますが、
「処理班の腕は拙い」で
「道を散らかす」
とあるので、
もしかしたらこの「処理班」には、
鳳仙花の種を採取する
という任務があったのかもしれません。

2016年01月13日『ポスト』
集配のバイクが去って急速に冷え切っていく川辺のポスト
以前当ブログでも感想をかかせていただいたうたなのだけど、
ホント好きなうたなんですよね。
1月の寒々とした川辺に立つ赤いポストと、
バイクのマフラーから出る排気の名残りとか
そういうものが想像されて、
あー、こういう情景詠めるってすてきだなぁって思います。

2016年02月28日『宇宙』
宇宙から撮られていると知ってればもっと綺麗に干していたのに
今回わたしが選んだうたには、
あまり多くなかったけど、
須磨蛍さんはは題をユーモアのある切り口で料理する
みたいな楽しいうたも多いんですよね。
この「宇宙」のうたも、
めっちゃ楽しいうたって思います。
衛星写真からの写真撮影にまで気にしちゃうっていう
スケールの大きさと小ささの対比も
おもしろいなぁって思います。
「もっと綺麗に干していた」
っていうのも、
ほんのりした含羞があってキュートだなぁって思います。

2016年08月28日『妙』
白妙のガーゼに抱かれ吾子ひとり命に慣れず保育器にあり
保育器の中の我が子に対する、
祈りのこもったうた。
「ひとり」「命に慣れず」に、
親としてどうしてやることも出来ずに、
ただ無事に自身の力でここを乗り切って欲しい
って祈りと、
「あり」に、
その力を信じている親の眼差しがあるような気がします。

2016年08月31日『宿題』
模造紙に跳ねる字のなか眠る子へ五分延長する夏休み
夏休みの宿題の中でも、
特に手ごわい自由研究のための模造紙でしょうか。
「跳ねる字のなか眠る子」
っていうのが、
作業中か、あるいは仕上げ直後に
そのまま寝入ってしまったようでいいなって思いました。
親の温かい眼差しも感じられてすきなうたです。

2017年01月20日『きっかけ』
路地裏でネコヤナギの芽を踏んづけた 禁煙してもう八年が経つ
うたの日で見たときからいいなって思ってたうたでした。
「ネコヤナギの芽」と「禁煙」
なにも関連性がなさそうだけど、
「ネコヤナギの芽を踏んづけた」ことで、
ふと「禁煙してから」と思いを馳せてしまう
この感じ、なんか分かるなぁって思いました。
わたしは踏んだ記憶がないので、
完全な想像ではありますが、
ネコヤナギの芽の白くて軟らかくて、
ちょっと厚みのある感じって、
たばこの火を踏み消しすときの感触に
どことなく似てたんじゃないかなって。
もっと他の、
個人的な理由から
「ネコヤナギの芽」と「禁煙」を
何かつなげる理由があるのかもしれませんが、
「ネコヤナギの芽を踏んづけた」
っていうアクションとそれによって得られる感触で
何かを思い出させられるって
なんか生々しくていいなって思います。

2017年05月05日『責めて』
君だけを責めてはいない 五回目の課長のセリフも立ったまま聞く
「五回目の課長のセリフも」の
「も」が
「君だけを責めてはいない」という
課長のセリフに対する
主体の思いが感じられるうたって思いました。
それはたしかに
「だけを」ではないのかも知れないけど、
これはかなり責められてるなぁ。
長い上司の叱責を受け続けてるつらさ。

2017年08月11日『霊』
霊媒はどこにでもありくたびれた祖父似の誰かが鏡に映る
このうたの「霊媒」は、霊と交信するための触媒としてのモノ、
を差してるんじゃないかと思います。
たとえば
「くたびれた祖父似の誰かが鏡に映る」のも、
それは見る人によっては
「祖父」そのものが降りてきた、
と思えるのかも。
「霊媒はどこにでも」あって、
街角で、誰かとの会話の中で、
ふとした家族の横顔に、
亡き人がふっと現れて、
短い邂逅があるんだっていうの、
なんか胸にぐっとくるうたでした。
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