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しま・しましま

Author:しま・しましま
こんにちは
しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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過去の短歌


今年もうたの日イベントとして
「短歌一武道会」が開催されるようですが、
前回の「短歌一武道会」に
わたしも参加しました。

その時の作品です。

第一回戦
「結」
ラッピングリボンのように一度だけ結ばれあって終ればいいよ

第二回戦
「新品」
カラオケのソファに誰も凭れない新品の友情持て余しながら

第三回戦
「黒」
幸せがきざすところをいつも見ない バナナの最初の黒い点とか

第四回戦
「パンフレット」
日に褪せたパンフレットのめくり癖 ひとりがさみしいと知らなかった

準々決勝
「南」
南から北へまっすぐ吹き抜けて全部もってけ祈りのことば

もごもごと考えたこと


「短歌の本音 うまくなりたいのか~男たちの短歌上達法」
というネプリがありました。
「短歌が上手になるためには」というテーマで
7人の男性歌人さんがエッセイを書かれているというステキネプリ。
具体的にどのぐらいという事は分りませんが、
ここにエッセイを寄せられている方々は、
わたしよりもずっとずっと短歌歴の長い方々なので、
それぞれがとても興味深く、たのしく読ませていただきました。
エッセイひとつづつに、
もちろんそれぞれ感じるところはありましたが、
僭越な気もするので、
個々の感想はここに書きませんが、
うん、そうですね、
振り返ってわたしはどうだろうと
つい考えさせられてしまう、そういうエッセイ集でした。

うん、そう、
わたしだったら……。
「うまくなりたいのか← →そうでもないのか」
という分岐があるとしたら、
うまくなりたい、ですね。
伝わる言葉がちゃんと使えて
きちんとこちらの想定してる景が
相手に結んでもらえること
それが理想かなぁとか考えます。
一度発表したら、
読みの部分は読者にお任せするしかないんですが、
それでも、
自分が想定した、ここはきちんと図が結ばれて欲しいところを
ちゃんと押さえて詠めるようになりたいです。
あと韻律ね。
せっかく「短歌」を詠むんだから、
きっちりゆるぎなくでもゆるくでもいいので
短歌の韻律で詠めるようになりたい
と思います。
今のところはゆるゆるなんですけども。
そういえば、
この韻律に非常に関係ある話なんですが、
現代短歌を声に出して読む場合、
どういう感じになるのか。
これが短歌をつくり始めてからも、
結構疑問でした。
百人一首を読み上げるときみたいに?まさかね。
いや、そこまでではないけど、
やっぱりある程度は歌うように読み上げるのかも……
いやいや、俳句と似た様な感じで、
57577にフレーズを分けて、
あとは現代語のイントネーションで読んでるんじゃ……
いやしかしそれは希望が混じってるかも…
みたいな感じで、
はっきりと分らない。
当り前ですが、短歌入門の本を読んでも、
そういったところは登場しない。
(話はやや脱線しますが、
数冊の短歌入門系の本を読んだんですが、
わたしがアレが知りたい!と思うものほど
書いてなかったですね。かすりもしない。
わたしが希望する情報がニッチすぎ?とか悩んだりして)
まあ、そんな感じで、
結局、ふむ!こんな感じで読むのか!
って理解したのが、
うたの人のツイキャス(たしかりおこさんの)とか、
あと、ニコ生でやっていた大学短歌バトルでした。
なるほど!
意味で切れるところまで読むタイプと
57577のリズムで読むタイプと、
その辺りは人によるようだけど、
とにかく歌わないんだ!
それがはっきり分ったのは、
わたしにとって短歌の韻律を考える上で、
結構プラスになったと思います。
その辺りは俳句と同じ感じで考えていいんだなって。
リアルの歌会などに出席すれば
そういうことは悩む必要もないんだな
って気がついたのは随分後でした。

なんだか微妙に締まらない感じですが、
まあ、そんなことをもごもごと考えたりした、
そんなエッセイ集でした。

#私の作品についてどう


またツイッターの話なんですが、
私の作品についてどう思ってますか引用RTで教えてください
ってタグが
昨夜流れてて、
私の作品か
と、ちょっと考えてしまいました。
どう思ってもらえてたら嬉しいんだろう。

50音童話短歌とか詠んで遊んだりするので
童話ちっくな雰囲気も大好きなんですが、
やっぱり自分としては
日常詠であることが多いかなぁって
そう考えると、
日常の切り取り方について
なにかしら印象を持ってもらってたらうれしいのかな。

たとえば、
「未来」誌に載ったものだと
アイロンのまだあたたかい 手を触れてこのまま冷たくなるのを看取る(5月号)
チラシと共に押し付けられた花種がかばんの中でひやりと触れる(6月号)
干しおえた布団の熱のとれるまで書かない手紙を考えている(7月号)
このあとはだれかの時間顔を拭いたタオルで洗面台を軽く拭う(8月号)
石鹸を三回撫でる 決められてないことばかりに縛られている(9月号)
とかそういうの。
(今思ったけど、こうやって並ぶと結句が口語で終止って単調だな)

日常詠というか、
日常にあるモノを軸にして詠むのが
好きなのかもと思ったりして。
「未来」誌に送るものは、
題詠ではないんだけど、
何かをぐっと自分のフィールドにひきつける時に、
自分なりの手がかりが欲しいとか
多分そういう感じなのかな
とか、
自分のことではありますが
そんな風に考えたりして。


ちなみに、前述の50音童話短歌ですが、
いつか何らかの形で決定稿を出しておきたいですね。
とは言っても50音50首(正確には46音46首)なので
分量が微妙に多いような。

八拍と塚本邦雄の話


昨夜ツイッターで
俳句を八拍で読む
と書きましたが、
これはこういう理由です。

俳句はご存知の通り
575
○○○○○/○○○○○○○/○○○○○
なんですが、
実際に読む時は
○○○○○○○○/○○○○○○○○/○○○○○○○○
で読む感じです。
575ですので
●●●●●○○○/●●●●●●●○/●●●●●○○○
って感じです。
言葉を当てはめてみますと、
中年や遠くみのれる夜の桃(西東三鬼)
ちゅうねんや○○○とおくみのれる○よるのもも○○○
手をつけて海のつめたき桜かな(岸本尚毅)
てをつけて○○○うみのつめたき○さくらかな○○○
句またがりの場合も
万緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
ばんりょくの○○○なかやあこのは○はえそむる○○○
字余りだと
呼んでいただく我名は澄子水に雲(池田澄子)
よんでいただく○わがなはすみこ○みずにくも○○○
見たいな感じで、
ブレスというか切れ目を入れてリズムをつけてる感じでしょうか。


さて、
昨夜の話は塚本邦雄の
モネの偽「睡蓮」のうしろがぼくんちの高架ですそこをのいてください

塚本正調というか初句七音定型で読むので
もねのにせすい・れんのうしろが・ぼくんちの・こうかですそこを・のいてください
だというのが違和感あるなというものだったんですが、
これに八拍を入れてみると
もねのにせすい○れんのうしろが○ぼくんちの○○○こうかですそこをのいてください○
となるわけです。
そう思うと、
「睡蓮」という絵のタイトルを「すい○れん」と分けて読むのに
かなり違和感が出て来るなぁと。
そこに句切れがあると意識するだけで
「れん」の「れ」を強く読んでしまうなぁとか。
もねのにせ○○○すいれんのうしろがぼくんちの○○○こうかですそこをのいてください○
の方が読みやすいじゃん
という。
まあ、作者が実際それをやってたんだから
といわれればそれまでの話で、
それはそれで面白いなぁと思って、
もうちょっと塚本短歌を読んでみようと思ってるところです。

一つ前の記事について

前回書いた記事ですが、
ホント不勉強の上に自分の持ってる印象ばっかりで、
時間が経つに連れて、
めっちゃ恥ずかしくなってきました。
多分ほとんど読まれてないか
読まれた方もさほど気にされてないのが
逆に良かったという複雑な感じ。
多分、
またしばらくたって
今以上に客観的に見られるようになったら
穴だらけの文章なんだろうなぁ。
(それに気がついたら速攻消す予感がします)

でも、何か書きたくなっちゃうんだよね。
ツイッターで話題になってることとかあると、
つい自分でもそれについて考えちゃって、
考えちゃうと言葉にしたくなっちゃう。
こわいよねー
あたしにも言わせて病。
前回の記事みたいに、
論点がずれてたり、
自分なりの着地点もないのに、
それでも発病しちゃう。
またこれからもちょいちょい発病して、
でもツイッターで言うのは恥ずかしいなって時に
ここで書き散らしちゃうかも。

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