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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月4日「圧」)


3月4日のうたの日は「暖」「想」「圧」「良」でした。

「圧」
圧力鍋の蒸気を抜くのがこわいので図書館へ行くシチューを置いて(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
銀さんの
風圧で好きと伝われこの春は桜吹雪を味方につける
この春に行われるであろう告白の
その情景がわーっと頭の中に鮮やかに浮かんで来る
そんなうたで、
とにかくそこが魅力的でした。
勢いもありますよね。
わたし勢いがあって明るくて、
そしてピンク色のイメージが
実は大好きなんですよ。
このうたにはそれが全部入ってるんで
ハートを入れるしかなかった。
何かのキャッチコピーになるんじゃないだろうか
って思うぐらいにリズミカルですよね。
「風圧で好きと伝われ」
っていう上の句の命令形。
そこからの間髪入れない感じで続く
「この春は」って上の句の頭が入ってくるの、
いいなって思います。
二句切れって上の句と下の句の間に、
あんまりインターバルがないような感じがして
勢いが出るのかもって思いました。
絶対この恋成就させる!みたいな
そういう強い思いとうたの勢いが魅力的なうたでした。

音符を入れたうた。
中牧正太さんの
蠢くなまだ飛び出すなポケットの中の圧倒的アイラビュー
意図したわけではないですが、
ハートを入れた銀さんのうたと
もしかしたら同じ鑑賞を書いてしまいそうな、
そんなうたでした。
これも二句切れでリズミカルな
将来的に愛の告白を予感させるうたなんですよね。
ピンク色はないんですが、
その代わりにこのうたには
「圧倒的アイラビュー」がある。
そして「蠢く」がある。
このきっちりとパワーワードを置いていくスタイル、
あーわたし作者わかっちゃったんですけどですけど
って思って一人でほくそ笑んでしまいました。
「圧倒的アイラビュー」の鮮やかさは勿論ですが、
「蠢く」がすごいなって思いました。
そうとうに気持の悪い言葉ではありますが、
「春」って漢字が含まれてます。
「蠢」って「しゅん」とも読みますし、
「春」のイメージをさらっと紛れ込ませてるんだろうな
って思うと、
うーんやるなぁと唸るしかない感じ。

小林礼歩さんの
雨の日のしるしを受けた一枚の圧着ハガキをゆっくりはがす
「圧着ハガキ」って、
わたしのところに届くのはあんまりいいものではないことばかりなんですが、
このうたの圧着ハガキは、
きっと特別な知らせが隠されてるんじゃないかなって
そんな気がするうたでした。
「雨の日のしるしを受けた」
っていうところがステキですよね。
明らかに雨粒が落ちて濡れた形跡がある
っていうのを、
なにか福音のように捉えられてるような。
しずかな佇まいも感じられていいなって思いました。

森下裕隆さんの
生ぬるい缶を圧迫面接を終えた瞼に押し当てている
情景も、缶を瞼に押し当てるその理由もすっと分かる、
自然な感じがいいなって思ったうたでした。
「圧迫面接」の強い「圧」と、
缶を押し当てるという弱めの「圧」の
強弱とか疲労と癒しの対比とかが
いい感じだなぁって思います。
残念だなぁって思ったのは、
読んでみるとちょっとリズムが悪いというか
「缶を」「面接を」と「~を」が並んだ形になってて
意味が取りづらくなってるところ。
言葉の順序を入れ替えたりすると
もうちょっとすっきりするかもって気がしました。

うたの日(3月3日「耳」)


3月3日のうたの日は「三」「娘」「耳」「サザン」でした。

「耳」
お忘れ物取扱所にいた人のその後をとんと耳にしません(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
小林礼歩さんの
耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し吾子は世界の音を操る
このうた、
一目みて、あっこれは凄い!
って思いました。
子供を見る大人の視線があって、
しかも子供あるある的な一般論ではなくて
「吾子」つまり我が子への視線と限定されてるところが
なんだかすごくいいって思いました。
子供、特に幼い子供って
聞きたくないとかうるさいっていうときに、
本当に自分の耳をふさいじゃう子がいますよね。
あれ、うるさいと思ってるアピールって思ってましたが、
そうやって自分で聞きたい音と聞きたくない音を選んでるんだ
って思うとそれはそれで、
なんかすとーんと理解できてしまいました。
「世界の音を操る」って表現もいいなって思いました。
「世界」って言っても、
この場合の「世界」は、
広い世界のことではなくて、その子の中の世界なんだろうな
そうやって少しずつバランスを取ってるんだろうな
って思わせられました。
実際にその子がどういうつもりで
「耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し」ているのかは、
わかりませんが、
そういうことなんだろうって親は捉えているんだろうな。
大人としての言葉遣いや視点で子供を詠むって
なかなか難しいところだと思うんですが、
そこがしっかりされてて、ホント凄いうたって思いました。

音符を入れたうた。
久保 直輝さんの
雪かきの手を休めると春はすぐそこだよという風の耳打ち
雪国ならではのうたと思いました。
この冬は全国的に大雪が降って、
例年ならば一度もすることがないことがおおい雪かきをしなくちゃいけなかった
みたいな地域もあると思います。
わたしの住んでる地域もそんな感じでした。
でも、このうたの「雪かき」は、
それとは違うんじゃないかなって気がします。
「春はすぐそこだよ」って「風」が教えてくれるんですよね。
雪かきが必要な大雪の中にも、
どこか春の予感が感じられるって
なんとなくいいなって思いました。
「風の耳打ち」っていう結句がいいなぁって思います。
風が擬人化されてることで、
メルヘンチックにも思えますが、
結句に体言止めで置かれてることで、
「耳打ち」の方が強く印象に残って、
実際に何か耳打ちされたような、
体感で分かった、みたいな感じがしました。
でも、「風の」なので、
その耳打ちも、はっきりしっかり分かるようなものではなくて、
かすかな、本当にかすかな春の予感って気がします。

鳥尾鮭介さんの
わるいのは私だけなの 食パンの耳を深めに切り落とす朝
うーん、
このうたって上の句をどう読むかで
かなり雰囲気の変わってしまううたって思いました。
「わるいのは私だけなの」
を最後に?がつく疑問として読むか、
フラットに読んで自分でそう認めてるところなのか。
わたしは前者で読みましたが、
もしかしたら
後者なのかも知れません。
後者だとしたら、
反省してしょんぼりしながらの「私だけなの」なのか、
はいはい、どうせ私だけが悪いんですよ
みたいなキレ気味な「私だけなの」なのか
また新たな分岐が出来そう。
上の句を受け止める下の句次第って感じですが、
「食パンの耳を深めに切り落とす朝」は、
上の句の方向性を定める手助けというよりは、
上の句で出された主体の感情を
補強するような感じに思えます。
なので、この上の句の読みのぶれそうな感じは
ちょっともったいないなって気がしました。
で、前者で読んだわたしなんですが
うたの日に
直接それを言えればいいのかも知れないけど、朝から言い争いはしたくない、みたいな感じでしょうか。持って行き場のないイライラが包丁さばき(サンドイッチ用でしょうか)にまで出ている感じ、でもちゃんと丁寧に作ってるっていうところがいいなって思いました。
ってコメントしました。

中牧正太さんの
ああ僕じゃだめな理由が端的で耳のかたちが芸術的だ
白状しますが、
実はこのうた、
最初「ああ僕がだめな理由が端的で」
と見間違えて鑑賞していました。
それで、男性が女性にばしばし叱られてるところを想像してました。
あ、違う!
って気付いたのは、
票を入れ終わって、コメントを考えていたときでした。(遅
その時のわたしのびっくりたるや……
やべっって思って、
改めて読み直したんですが、
よかった……それはそれで魅力的なうただった
ってわかってホッとしましたね。
しかし、「が」と「じゃ」、
たった一音の違いで、
はっきりと振られている情景が
ばしっと叱られている情景に変わっちゃうって
なんかすごいことだなって思ったりして。
改めて読んで、
わたしは自分をちゃんと振ってくれた(って言い方も変ですが)人の、
その「耳のかたち」を、
ショックを受けつつも、ついつい賞でずにはいられない、
みたいな感じかなって思いました。
綺麗な人って耳まで綺麗なんだろうなって。
振られてしまってるけど、
でも大好きなんだなって思って、
そこの部分は「じゃ」でも「だ」でも変わらないんで
やっぱり票を入れてよかったってうたでした。

高木一由さんの
パンの耳ばかり増えてく冷凍庫ニベアを塗った踵(かかと)が痛い
「パンの耳」を詠まれたうたは、
今回いくつかありましたが、
ほとんどがどちらかと言うと負の感じのするうたでした。
一つだけ、そうでもないうたがありましたが
それについてはあとで書くとして、
「パンの耳」と限定的に言う場合、
やっぱり本体から切り離されたそれっていうところ、
切り落とされる
っていう部分に、
なんとなく痛さが重なるんだろうなって気がします。
さて、高木さんのうたですが、
「パンの耳ばかり増えてく冷凍庫」
「ニベアを塗った踵が痛い」
と、直接は関係のない二つの事柄が並べてあるという形式。
最初、パンの耳ばかりが入っている冷凍庫を想像して、
凍ってはいるんだろうけど、
暖色系のパンの耳がいっぱい詰ってて、
なんとなくあたたかそうだ
って思ったんですが、
その後すぐに、
でもなんでパンの耳?
そんなに冷凍庫に溜まるものなの?
って考えて、
うーんこれは、サンドイッチとか作る時に
パンの耳を切り落として、
とりあえず今は使わないから冷凍しておこう
ってやつが、使われないままに増えていく
っていうことなのかなって思いました。
使わないのにもったいないから取っておく、
でも使わないから増えるばっかり
って、これはそうとう空虚な感じだなぁって思った時に、
一応手当てはしてあるけどもまだ続く踵のズキズキした痛みと
なんとなーく呼応してるかもって思いました。
望んでたのはこんなことじゃないんだっていう
空しさみたいな感じが漂うところがいいなって思いました。

西村曜さんの
食パンの耳に沿わせる舌 聞いてないのはきみも同じだろ、なあ
前述のパンの耳の、
これだけが切り落とされてないもの。
でもやっぱり、
何かしら明るさはないような気がします。
句跨りというか句割れ(?)が多用されてて破調なので、
その所為もあるかも知れません。
「食パンの耳に沿わせる舌」
という上の句、
体言止めで「舌」がクローズアップされてるようで、
なんかとてもエロチックにも思えますし、
同時に、普通はしない「パンの耳に舌を沿わせる」という行為の
なんとなく空々しい感じが、
いかにも人の話を聞かない人っぽい感じがして、
面白いなぁって思いました。
この舌の持ち主が、
「あなたは人の話を聞かない」
って主体をなじったんでしょうか。
それに反論として
「聞いてないのはきみも同じだろ」
って言って、
しかも「なあ」と強めに迫ったりしてますが、
「舌」なんか見てるところからすると、
これは下の句の反論よりも上の句の「舌」の方が強そう。
中牧さんの「耳」も西村さんの「舌」も、
関係ない相手の体のパーツに視線を取られちゃったら
負けっぽい感じがするんだなぁと思って
面白かったです。

うたの日(3月2日「公」)


3月2日のうたの日は「春一番」「雀」「怪」「公」でした。

「公」
非公式情報を得てかえる道なんどもお腹に手を当てながら(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
ふるたつむぎさんの
「また同じ家族で人生をやりたい」とタコ公園のベンチで父は
うわー、すごくいいシーンだな
さらりとした中に思いの籠ったいいセリフで、
公園のベンチっていうのもそれに相応しいいい場所だな……
ただし公園の名称、お前だけはダメだ
みたいな、
一箇所だけすこーんと抜けたところが
すごく面白いうたって思いました。
公園の名前がひどすぎる所為で、
もうなんもかも台無しだよ
っていう面白さ。
こういうの、実はかなり好きです。

音符を入れたうた。
nu_koさんの
公団のうすいベランダそれぞれにはみだしている生活のいろ
「公団」公団住宅のことですよね。
けっこうくたびれた感じの公団住宅を想像しました。
そこのベランダを「うすいベランダ」としたところに、
そのくたびれ感、
なんとなく漂う侘しさがあるなって思いました。
で、
「生活のいろ」が「はみだしている」っていうのが、
ホントぱっと目の前にその情景が浮かんで来るようで
いいなぁって思いました。
洗濯物だったり、布団だったり、
もしかしたらベランダに青いゴミ箱とか置いてあったりするかもだし、
ゴミ袋が一時置きされてるかもしれないし、
逆に、そんなささやかなスペースにも
花が咲いているのかも知れないし。
「それぞれ」な感じが想像されていいなって思いました。

うたの日(3月1日「本気」)


3月1日のうたの日は「15時」「17時」「19時」「本気」(と書いてマジ)

「本気」
題にもなってますが、
この日から開催時間(投稿締め切り時間)が
15時、17時、19時と、最後の部屋は今まで通りの21時
となりました。
うわー、これはがんばって19時部屋、
たいがいが最終部屋になりそうな予感で、
出来れば、
(わたしにとって)詠みやすいお題が後半に出てくれることを
祈るばかりです。
本気でわたし、失くしてしまうと思うんですピアスチケット傘鍵恋人(しま・しましま)
うたの日の評に、東直子さんの短歌が挙げられていましたが、
たしかに念頭にそのうたがあってのこのうたでした。
今、ちゃんと手の中にあるのに、
失くしてしまうのが怖いって思うと持てなくなる
みたいな感じ、ないですか?

ハートを入れたうた。
七緒さんの
叶わない願いもあると知った日のあなたの マジか、だけの優しさ
何か失意の時があって、
それにたいしての「あなた」のフォローが
「マジか、」の一言だった、
それは主体には優しさと思えるものだった、
ってうたと思います。
うたの日にもそうコメントしたんですが、
「叶わない願いもあると知った」って
これって最大級の失意じゃないかって思うんですよ。
今回はダメだったとか、
そういうんじゃなくて、
「叶わない願いもある」って
突きつけられてしまった、みたいな。
マジか、ですよね。本人も。
そこに、「あなた」も「マジか、」と
ただ寄り添ってくれるだけ。
言葉を尽くして慰めてくれるのもいいんだけども、
ただ気持に寄り添ってくれるって
それはたしかに「優しさ」だと思いました。

音符を入れたうた。
深影コトハさんの
君がよく陰で泣いてた老木が最期の本気の花を咲かせたよ
どこの老木なんでしょうね。
わたしは、職場の中庭に見える老木とか
そういうものを想像して読みましたが、
例えば家の近所の木として読んでもよさそう。
どこの木なのかで、
泣いていた「君」がぶれずに浮かんで来るんだろうな
って気もしますが。
さて、わたしの職場読みですが、
「君」はすでに転職してしまった後で、
普段は老木なりの淋しい感じの花の付き方だった老木が
今年、驚くぐらいの花をつけている。
そういえばこの木の陰で、
君が泣いているのをよく見かけたね、
もう君はこの木のこの花を見ることは出来ないだろうけど、
たぶんこの老木の最期の本気の花を
君に教えてあげたいな
みたいな感じかなって思いました。
荻森美帆さんの
時計にはウサギが棲んでいたんだといもうとだけが本気マジのトーンで
「時計にウサギ」
とっぴな発想だけどなんとなくそこに住ませたい感じは分かるなぁ。
丸い時計盤と満月の形が似てるとか、
不思議の国のアリスに登場するうさぎと時計、
うん、あると思います。
で、
このメルヘンチックな「時計にうさぎ」が、
だったらいいな、ではなくて
「いたんだ」とマジトーンっていうのが
面白いなって思いました。
幼い「いもうと」なのかな。
となりのトトロで、トトロほんとにいたんだって
泣きながら力説するメイちゃんとか連想します。
「いたんだ」っていう過去形から、
かつてはそうだったんだ
とも思えますが、
見たんだ
っていうこととも思えます。
最初は、あーそうなんだメルヘンだねぇ
とか適当にあいづちうってたけど、
あ、マジなんだ
ってちょっと引くような、
でもそういう「いもうと」がかわいいなっていうような
そんな雰囲気がするようでいいなって思いました。
chariさんの
弄ぶなんて言葉を作ったの誰なのかしら どこまでが本気
歌意は、なかなか生々しいなって思うんですが、
どこかふわっと浮世離れしたというか
クラシカルな雰囲気があっていいなって思いました。
「弄ぶなんて言葉を作ったの誰なのかしら」
口に出してみると分かるんですが、
古い映画の中の少女のセリフみたいな
ちょっと幼くて舌足らずだけど丁寧な言葉遣いって感じがします。
このクラシカルな雰囲気から続く言葉として考えると
「どこまでが本気」
も、「ほんき」と読みたいぐらい。
「~を作ったの誰なのかしら、どこまでがほんき?」
って、一繋がりの言葉として。
でも、ですね。
最初にも書いたけど、
歌意はなかなか生々しいと思うんですよね。
まず「弄ぶ」から始まりますし。
主体は恋人の本気度がいまいち推し量れなくて、
もしかして、自分は弄ばれてるだけなんじゃないかって
そういう疑惑にさいなまれてる、
そういう情景かなって思います。
そこで、ストレートに恋人についてではなく
弄ばれてるかもっていう疑惑をこじらせて
「弄ぶ」っていう言葉自体に苛立つようになっちゃう。
そんな言葉があるからわたしまでそんなこと考えちゃうんだ
みたいな。
で、ちょっと冷静になって(?)
恋人への「どこまでが本気(マジ)?」って
言いたくなっている、みたいな感じかなって。
最初の語感からの雰囲気だと最後の「本気」は「ほんき」だなって思うんですが、
「弄」ばれているかもしれない相手への言葉としては、
やっぱり「本気(マジ)」がしっくりくるなって気がします。
二つの異なるイメージが重なってて、
面白いつくりのうただなって思いました。

うたの日(2月28日「ここ」)


2月28日のうたの日は「インフルエンザ」「奥」「ここ」「帯」でした。

「ここ」
ここに橋ここにパン屋と今はない名前の町を教えてくれる(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
仙冬可さんの
五十音のパズル並べて線路(レール)とう吾子の言葉の旅はここから
幼児向けの知育玩具で
五十音のついたパズルとか積木とかありますよね。
それを並べて線路に見立てている幼い我が子を見ながら、
「言葉の旅はここから」
と思うのってすてきだなって思いました。
そして、たしかにそうだなぁって思わせられます。
「言葉」に文字通り初めて触れて、それを使うようになってるわけですから。
「線路」っていうのもいいですよね。
ずうーっと続いていくイメージが、
その子の未来まで伸びて行くようなそんな広がりがあるように思いました。
このうたの指す「ここ」は、
今、我が子がレールを敷いているリビングのここで、
未来に続く言葉の線路の基点でもあるんだな。
親としての言祝ぎのうたでもあるなぁって思うと
ホントにすてきなうたでした。

音符を入れたうた。
いっくんママさんの
ああここが夢の終わりだ 遠くからパンと卵の焼ける匂いが
「夢の終わり」っていうか目覚める直前ぐらいに
夢の中に現実の要素が混じってくることありますね。
このうたでは、
「パンと卵の焼ける匂い」。
誰かが朝食を準備する実際の匂いかも知れませんが、
もしかしたら、夢を見てる主体が毎朝それを準備しているので、
夢の中にも朝食メニューを思い起されるモノが入ってきちゃったのかも。
わたしは後者かなって読みました。
「パン」はいいとしても
「卵の焼ける匂い」って実際そんなにしない気がしますし。
早く起きて朝の準備をしなくてはいけない
ってことを夢の中でも思い知らされるような、
そんな感じかなぁって。
「夢の終わり」が、「ここ」っていう場所としてあるのも
面白くていいなって思いました。
名残惜しいけど、現実も大切、
そんな感じの「ああ」っていう感嘆符なのかなって思ううたでした。

木蓮さんの
ここにしようここがいいねと言いあって決めた部屋から見える星空
最後の「星空」に向って、
すべてが一直線にながれていくような構成で、
きもちのいい幸せなうたでした。
「ここにしようここがいいねと言いあって決めた部屋」
「部屋から見える」
と、二段階になってはいますが、
ほぼ一直線って言っていいんじゃないかな。
「星空」が最後にわーっと広がるイメージがすてき。
「ここにしようここがいいねと言いあって」
っていう昼間の明るさとか、部屋を決めるときの興奮状態とか、
そういうのが、
最後の「星空」まで繋がってるようでした。

さくらちあさんの
ここ掘れと犬が吠えるという奇跡落ちてないかな通勤途中
思わずふふっと笑ってしまうようなうた。
「通勤途中」の電車から窓の外を眺めながら、
とかそういう感じを想像しました。
大金を手にしたらもう働かなくていい
働きたくない
大金が欲しい
って思いは、
多分誰もが持ったりするんじゃないかと思いますが、
その大金の入手方法を夢想するときに、
「ここ掘れと犬が吠えるという奇跡」
を、考えるっていうのが、
独特な感じでいいなって思います。
普通はもうちょっとストレートで
買ってもいない宝くじに当たりたいとか
道に大金落ちてないかなとか
そういう
妄想ですら夢がなかったりしますが、
「ここ掘れ~」っていう花咲かじいさんの昔話を持ってくるところが、
現実逃避とはいえ、
まだ現実に少し余裕がありそうで
楽しいうたって思いました。

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