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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月2日「公」)


3月2日のうたの日は「春一番」「雀」「怪」「公」でした。

「公」
非公式情報を得てかえる道なんどもお腹に手を当てながら(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
ふるたつむぎさんの
「また同じ家族で人生をやりたい」とタコ公園のベンチで父は
うわー、すごくいいシーンだな
さらりとした中に思いの籠ったいいセリフで、
公園のベンチっていうのもそれに相応しいいい場所だな……
ただし公園の名称、お前だけはダメだ
みたいな、
一箇所だけすこーんと抜けたところが
すごく面白いうたって思いました。
公園の名前がひどすぎる所為で、
もうなんもかも台無しだよ
っていう面白さ。
こういうの、実はかなり好きです。

音符を入れたうた。
nu_koさんの
公団のうすいベランダそれぞれにはみだしている生活のいろ
「公団」公団住宅のことですよね。
けっこうくたびれた感じの公団住宅を想像しました。
そこのベランダを「うすいベランダ」としたところに、
そのくたびれ感、
なんとなく漂う侘しさがあるなって思いました。
で、
「生活のいろ」が「はみだしている」っていうのが、
ホントぱっと目の前にその情景が浮かんで来るようで
いいなぁって思いました。
洗濯物だったり、布団だったり、
もしかしたらベランダに青いゴミ箱とか置いてあったりするかもだし、
ゴミ袋が一時置きされてるかもしれないし、
逆に、そんなささやかなスペースにも
花が咲いているのかも知れないし。
「それぞれ」な感じが想像されていいなって思いました。

うたの日(3月1日「本気」)


3月1日のうたの日は「15時」「17時」「19時」「本気」(と書いてマジ)

「本気」
題にもなってますが、
この日から開催時間(投稿締め切り時間)が
15時、17時、19時と、最後の部屋は今まで通りの21時
となりました。
うわー、これはがんばって19時部屋、
たいがいが最終部屋になりそうな予感で、
出来れば、
(わたしにとって)詠みやすいお題が後半に出てくれることを
祈るばかりです。
本気でわたし、失くしてしまうと思うんですピアスチケット傘鍵恋人(しま・しましま)
うたの日の評に、東直子さんの短歌が挙げられていましたが、
たしかに念頭にそのうたがあってのこのうたでした。
今、ちゃんと手の中にあるのに、
失くしてしまうのが怖いって思うと持てなくなる
みたいな感じ、ないですか?

ハートを入れたうた。
七緒さんの
叶わない願いもあると知った日のあなたの マジか、だけの優しさ
何か失意の時があって、
それにたいしての「あなた」のフォローが
「マジか、」の一言だった、
それは主体には優しさと思えるものだった、
ってうたと思います。
うたの日にもそうコメントしたんですが、
「叶わない願いもあると知った」って
これって最大級の失意じゃないかって思うんですよ。
今回はダメだったとか、
そういうんじゃなくて、
「叶わない願いもある」って
突きつけられてしまった、みたいな。
マジか、ですよね。本人も。
そこに、「あなた」も「マジか、」と
ただ寄り添ってくれるだけ。
言葉を尽くして慰めてくれるのもいいんだけども、
ただ気持に寄り添ってくれるって
それはたしかに「優しさ」だと思いました。

音符を入れたうた。
深影コトハさんの
君がよく陰で泣いてた老木が最期の本気の花を咲かせたよ
どこの老木なんでしょうね。
わたしは、職場の中庭に見える老木とか
そういうものを想像して読みましたが、
例えば家の近所の木として読んでもよさそう。
どこの木なのかで、
泣いていた「君」がぶれずに浮かんで来るんだろうな
って気もしますが。
さて、わたしの職場読みですが、
「君」はすでに転職してしまった後で、
普段は老木なりの淋しい感じの花の付き方だった老木が
今年、驚くぐらいの花をつけている。
そういえばこの木の陰で、
君が泣いているのをよく見かけたね、
もう君はこの木のこの花を見ることは出来ないだろうけど、
たぶんこの老木の最期の本気の花を
君に教えてあげたいな
みたいな感じかなって思いました。
荻森美帆さんの
時計にはウサギが棲んでいたんだといもうとだけが本気マジのトーンで
「時計にウサギ」
とっぴな発想だけどなんとなくそこに住ませたい感じは分かるなぁ。
丸い時計盤と満月の形が似てるとか、
不思議の国のアリスに登場するうさぎと時計、
うん、あると思います。
で、
このメルヘンチックな「時計にうさぎ」が、
だったらいいな、ではなくて
「いたんだ」とマジトーンっていうのが
面白いなって思いました。
幼い「いもうと」なのかな。
となりのトトロで、トトロほんとにいたんだって
泣きながら力説するメイちゃんとか連想します。
「いたんだ」っていう過去形から、
かつてはそうだったんだ
とも思えますが、
見たんだ
っていうこととも思えます。
最初は、あーそうなんだメルヘンだねぇ
とか適当にあいづちうってたけど、
あ、マジなんだ
ってちょっと引くような、
でもそういう「いもうと」がかわいいなっていうような
そんな雰囲気がするようでいいなって思いました。
chariさんの
弄ぶなんて言葉を作ったの誰なのかしら どこまでが本気
歌意は、なかなか生々しいなって思うんですが、
どこかふわっと浮世離れしたというか
クラシカルな雰囲気があっていいなって思いました。
「弄ぶなんて言葉を作ったの誰なのかしら」
口に出してみると分かるんですが、
古い映画の中の少女のセリフみたいな
ちょっと幼くて舌足らずだけど丁寧な言葉遣いって感じがします。
このクラシカルな雰囲気から続く言葉として考えると
「どこまでが本気」
も、「ほんき」と読みたいぐらい。
「~を作ったの誰なのかしら、どこまでがほんき?」
って、一繋がりの言葉として。
でも、ですね。
最初にも書いたけど、
歌意はなかなか生々しいと思うんですよね。
まず「弄ぶ」から始まりますし。
主体は恋人の本気度がいまいち推し量れなくて、
もしかして、自分は弄ばれてるだけなんじゃないかって
そういう疑惑にさいなまれてる、
そういう情景かなって思います。
そこで、ストレートに恋人についてではなく
弄ばれてるかもっていう疑惑をこじらせて
「弄ぶ」っていう言葉自体に苛立つようになっちゃう。
そんな言葉があるからわたしまでそんなこと考えちゃうんだ
みたいな。
で、ちょっと冷静になって(?)
恋人への「どこまでが本気(マジ)?」って
言いたくなっている、みたいな感じかなって。
最初の語感からの雰囲気だと最後の「本気」は「ほんき」だなって思うんですが、
「弄」ばれているかもしれない相手への言葉としては、
やっぱり「本気(マジ)」がしっくりくるなって気がします。
二つの異なるイメージが重なってて、
面白いつくりのうただなって思いました。

うたの日(2月28日「ここ」)


2月28日のうたの日は「インフルエンザ」「奥」「ここ」「帯」でした。

「ここ」
ここに橋ここにパン屋と今はない名前の町を教えてくれる(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
仙冬可さんの
五十音のパズル並べて線路(レール)とう吾子の言葉の旅はここから
幼児向けの知育玩具で
五十音のついたパズルとか積木とかありますよね。
それを並べて線路に見立てている幼い我が子を見ながら、
「言葉の旅はここから」
と思うのってすてきだなって思いました。
そして、たしかにそうだなぁって思わせられます。
「言葉」に文字通り初めて触れて、それを使うようになってるわけですから。
「線路」っていうのもいいですよね。
ずうーっと続いていくイメージが、
その子の未来まで伸びて行くようなそんな広がりがあるように思いました。
このうたの指す「ここ」は、
今、我が子がレールを敷いているリビングのここで、
未来に続く言葉の線路の基点でもあるんだな。
親としての言祝ぎのうたでもあるなぁって思うと
ホントにすてきなうたでした。

音符を入れたうた。
いっくんママさんの
ああここが夢の終わりだ 遠くからパンと卵の焼ける匂いが
「夢の終わり」っていうか目覚める直前ぐらいに
夢の中に現実の要素が混じってくることありますね。
このうたでは、
「パンと卵の焼ける匂い」。
誰かが朝食を準備する実際の匂いかも知れませんが、
もしかしたら、夢を見てる主体が毎朝それを準備しているので、
夢の中にも朝食メニューを思い起されるモノが入ってきちゃったのかも。
わたしは後者かなって読みました。
「パン」はいいとしても
「卵の焼ける匂い」って実際そんなにしない気がしますし。
早く起きて朝の準備をしなくてはいけない
ってことを夢の中でも思い知らされるような、
そんな感じかなぁって。
「夢の終わり」が、「ここ」っていう場所としてあるのも
面白くていいなって思いました。
名残惜しいけど、現実も大切、
そんな感じの「ああ」っていう感嘆符なのかなって思ううたでした。

木蓮さんの
ここにしようここがいいねと言いあって決めた部屋から見える星空
最後の「星空」に向って、
すべてが一直線にながれていくような構成で、
きもちのいい幸せなうたでした。
「ここにしようここがいいねと言いあって決めた部屋」
「部屋から見える」
と、二段階になってはいますが、
ほぼ一直線って言っていいんじゃないかな。
「星空」が最後にわーっと広がるイメージがすてき。
「ここにしようここがいいねと言いあって」
っていう昼間の明るさとか、部屋を決めるときの興奮状態とか、
そういうのが、
最後の「星空」まで繋がってるようでした。

さくらちあさんの
ここ掘れと犬が吠えるという奇跡落ちてないかな通勤途中
思わずふふっと笑ってしまうようなうた。
「通勤途中」の電車から窓の外を眺めながら、
とかそういう感じを想像しました。
大金を手にしたらもう働かなくていい
働きたくない
大金が欲しい
って思いは、
多分誰もが持ったりするんじゃないかと思いますが、
その大金の入手方法を夢想するときに、
「ここ掘れと犬が吠えるという奇跡」
を、考えるっていうのが、
独特な感じでいいなって思います。
普通はもうちょっとストレートで
買ってもいない宝くじに当たりたいとか
道に大金落ちてないかなとか
そういう
妄想ですら夢がなかったりしますが、
「ここ掘れ~」っていう花咲かじいさんの昔話を持ってくるところが、
現実逃避とはいえ、
まだ現実に少し余裕がありそうで
楽しいうたって思いました。

うたの日(2月27日「カレー」というかプレミアム)


2月27日のうたの日は「タンバリン」「血」「っぽい」「カレー」でした。
が、
この日は投票が出来なかったんですよね。
投稿はしたんですが。
「カレー」で
君にまた電話 カレーの皿にぼくはにんじんの避難所を作り続ける
といううたを出しました。

うん、それだけではなんだかなぁ
って感じなので、
なんか適当に書きますね。
この日の「カレー」部屋は、
しばらくうたの日をお休みされてた塾カレーさんが
プレミアム塾カレーとして
華麗に登場して、
全首に評をつけられてた日でした。
うーん、わたしもちゃんと選まで参加したかった。
深夜まで翌日の為の仕事が残ってたんですよ。
(二月中に税務署行かないとだったので)
わたしのうたにも、
もちろん評をいただきました。
お返しではないですが
いや、お返しですが、
プレミアム塾カレーさんの
ワイシャツに咖喱饂飩(カレーうどん)の汁はねて死はだれにでも訪れるのだ
について少し書きます。
「死はだれにでも訪れるのだ」
という金言のようなフレーズ。
これを
「ワイシャツに咖喱饂飩の汁はねて」
っていう上の句が、
がしっと一般論から自分自身へと引き寄せてるうたって思いました。
カレーうどんの汁がはねて服についちゃった時の、
あの瞬間のはっとする感じ、
ワイシャツの白に飛んだカレーうどんの汁の黄色で
あざやかに視覚的に表現されてるって思いました。
その瞬間に、ワイシャツに訪れる死、
大仰ではありますが、そういう見方もあるな
って感じがしました。
わたしの好みでいうと、
「咖喱饂飩」という画数が多くて、通常使わない漢字の熟語で
しかも「カレーうどん」とルビまで振ってあるのは、
そこだけが強すぎてバランス悪いなって思うんですが、
印象的で面白いうたって思いました。

うたの日(2月26日「多分」)


2月26日のうたの日は「焦」「仕草」「多分」「風」でした。

「多分」
ふるさとは多分まだ冬、鳥をとじ煮凝りみたいにみずうみはある(しま・しましま)
わたしの住む島根県にある宍道湖って、
冬は大体水面が暗くて
(あっ、天気も良くないです)
雨の日とか曇り空に風のある日とか、
揺れる暗い水面に、水鳥がたくさん動かないで浮かんでるんですよ。

ハートを入れたうた。
ミオナマジコさんの
麗(うら)らかな春の光は君のよう五十年後も多分好きです
いつまでも好きでいる
みたいなフレーズってよく聞くような気がするんですが、
そこに「多分」って入れてあるところと
「五十年後」っていう
具体的だけどざっくりした数字が入ってるところが
なんかいいなぁって思いました。
絶対っていうと嘘になるから
っていう「多分」
でもあるかもしれませんが、
どちらかというともうちょっとやわらかく、
そうでありたいな、ぐらいな
そんな「多分」かなって思います。
で、ですね
何が「多分好き」でいられるのかというと、
上の句に
「麗らかな春の光は君のよう」
ってあるんで、多分「君」のことって思います。
麗らかな春の光のような君
ではないところがいいですよね。
このうたの、この思いを抱いた時、
主体の目の前には「君」ではなくて「春の光」があったんじゃないか
って気がします。
明るくてあたたかくて心地いい春光の中にいるような
そんな感じがいいなって思いました。

音符を入れたうた。
松岡拓司さんの
波音のだんだん近くなる坂で多分好きって言われたような
「波音のだんだん近くなる坂」
まだ海は見えないけど、波音だけは届く坂を
二人で歩いてる、
そんな情景を想像します。
最初はかすかに、気をつけて聞けば
あー波の音がするかも
ぐらいなのが、
だんだんとはっきり波音って分かるぐらいに
クリアに聞こえて来るんでしょうね。
っつっても、
普通の会話が掻き消えるほどの音で
っていうのは考えられないので、
多分相手の声がめちゃめちゃちっちゃくて
聞き取れなかった、
って感じじゃないかなって思います。
「多分好きって言われたような」
気がするけども、
でもそう思うのは自意識過剰かも
でも、でもそうであったらいいな
って感じかなって思います。
これは、もしかしたらわたしの好みなだけかもしれませんが、
「~な」って言い差しで終るのって、
なんとなく落ち着かないんですが、
このうたの場合は、
上記の気持のゆらゆらが
それ以上はっきりしたことを言えない感じと
合ってるような気がしました。

ふたりさんの
旅に出る。たぶんあなたは来ないから、いつか何処かでまたあいましょう。
なんだろう、不思議なうただな
って思いました。
感じは分かるけど不思議だな
みたいな。
どこかに行くと決めて、
出来れば「あなた」も一緒に来て欲しいと思ってる。
でも、
「たぶんあなたは来ない」だろう。
というか、
それが分かるから自分も一緒に行こうとは言えない。
これがお別れになるんだと思うけど、
出来れば
「いつか何処かでまたあいましょう」
みたいな感じかなぁって思いました。
で、不思議な感じがしたのは二点。
一つは初句の「旅に出る。」というフレーズからくる
不思議さね。
旅って、やっぱり行きて戻るもの、だと思うんです。
ホームがあって、
終わったら戻って来るのが旅。
そうだと思うし、そうであってほしい
と、思ってます。
ここのあたりの感覚は、
伝わるか伝わらないかわからないけど、
詳しく書くと長くなるので、
まあ、そうわたしは思ってるってことで。
で、あなたは来ないわけですので、
多分、旅の起点としてのこの街とか、
そういうホーム的な場所にいつづけるんだろうって
思うんです。
ところが、
「いつか何処かでまたあいましょう。」なので
主体が旅を終えてホームに戻ってきても、
そこで再会する気がないのかな
って。
まあお別れ前提だとしても、
同じ街にいればそこで会うかもしれないじゃないですか。
でも、このうたでは「何処かで」なので、
確実にこの街(ホーム)で出会うとは限らないと
そういうことかなぁ
って思うとなんだか不思議な感じでした。
もう一点は、句読点の使い方。
初句と結句の前に読点があって、
三句目の後に句点が置いてありますが、
普通に散文として読む場合は
「旅に出る。」
「たぶんあなたは来ないから、いつか何処かでまたあいましょう。」
という二つの文に分かれるのかな
って思うんですが、
このうたを読んだ時、
「旅に出る。たぶんあなたは来ないから、」
で、一度断絶があって、
「いつか何処かでまたあいましょう。」
ってなるような気がするんですよね。
主体が本当に「あなた」に言いたいことは、
三句目の句点のその後の断絶の部分に隠されてるんじゃないかな
って気がしますが、
どうなんでしょう。
そういう不思議さの後ろに、
決断はしたけども未練は残ってるんだよ
っていう切ない気持がかくされてるみたいで、
惹かれたうたでした。

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