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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日(3月9日「恐竜」)


3月8日のうたの日は「ぐちゃぐちゃ」「掛」「軍」「罫線」でした。
わたしは「罫線」で出したんですが、
投票は出来なかったので、
自作だけ
「罫線」
細すぎるキャンパスノートの罫線じゃ支えきれない春昼の文字(しま・しましま)

3月9日のうたの日は「ノック」「個」「恐竜」「なし」でした。

「恐竜」
塩化ビニールラバーアンバーいつまでも恐竜たちを樹脂に固めて(しま・しましま)
樹脂と恐竜って相性いいなって思って詠んだうた。
塩ビとかラバーは形を模したおもちゃ、
アンバー(琥珀)はDNAが閉じ込められている可能性、
どれも本物の恐竜そのものではないけども。

ハートを入れたうた。
WPPさんの
恐竜を時代遅れと言うきみに語りたいカンブリア紀の愛
「恐竜を時代遅れと言う」って
めちゃ面白いなって思って、
もうそれだけでハート入れてもいい
って思っちゃいました。
それはもう、たしかに恐竜は時代遅れです。
恐ろしく時代遅れ。
もしかしたらこのうたの中の「きみ」は、
流行のアイテムとしての「恐竜」が時代遅れって
そう言ってるのかも知れません。
振り返ってみると、
たしかにちょいちょい恐竜ブームは来てました。
古いところだとヴィクトリア時代。
コナン・ドイルの「失われた世界」の時代です。
わたしの好きな児童文学に
女性の化石発掘家メアリー・アニングの少女時代を描いた
「海辺のたから」
って本がありますが、
これもそういえばその時代。
彼女は12歳でプレシオサウルス、イクチオサウルスの化石を発掘して
世界的に有名になった人なんですが、
その化石も、ドイルによる恐竜ブームが後押ししてくれたから
商売として成り立ったんでしょうね。
そして、その後もちょいちょいブームが来てるはずですが、
やっぱり新しいところだと
映画「ジュラシック・パーク」からの90年代恐竜ブーム。
この映画ももとを辿るとコナン・ドイルに行き着くわけですが。
まあとにかく、
この「きみ」は、
この90年代の恐竜ブームを念頭においての
「恐竜を時代遅れと言う」
なんだと思います。
さらにこのうたが面白いのは、
そこで恐竜のいた時代の愛を語るんじゃなくて、
それよりも、もっともっと古い時代の愛を語りだすところ。
「カンブリア紀の愛」ですよ。
まだやっとこ原始的な生物から進化したばかり
(っていっても恐ろしく長い年月があるんですが)
昆虫とか軟体動物とか節足動物とか、
爬虫類とか出てきてますかね、まあそんな感じ。
その頃に比べれば確かに恐竜の時代は新しい。
主体の古代愛が爆発してる感じがたのしいうたでした。

音符を入れたうた。
森下裕隆さんの
白亜紀の終わり少年期の終わり 滅びたものは愛しやすいね
このうたの下の句
「滅びたものは愛しやすいね」
には、わたし個人としてはあまり共感できなかったんですが、
そういう感覚もあるのかなって思います。
面白いなぁって思ったのは、
「白亜紀の終わり」と「少年期の終わり」を
同列に並べてあるところ。
「白亜紀の終わり」っていうと、
恐竜の時代の終わりですよね。
この大きな時代の区切りと、
「少年期の終わり」という、
傍目にはどこにその区切りがあるのか分からない、
超個人的な感覚の、
だけど超個人的にはとても大きな意味のある区切りを並べる
マクロとミクロ(というのは大袈裟かな)な感じ。

わらびさんの
同志だと信じてたのにティラノにも毛があったとか 隕石落ちろ
ティラノサウルスが実は羽毛ふわふわだったかも!
みたいな画像が出て、
みんなびっくりしたのはもうおととしぐらいの話ですが、
あれはホント衝撃的でしたよね。
キングオブ爬虫類みたいな姿で定着してたのが
根底からひっくり返されたみたいな。
いや、あれはあれでかっこよくて、
あれがティラノサウルスの真実の姿決定版!
というわけではないはずですが、
まだ何も恐竜については知らないことだらけなんだって
思い知らされたような感じでもありました。
そういえば、
他にも、同様にティラノサウルス羽毛ショックのうたを
詠まれてる方が複数ありましたね。
さて、このうたでは、
ティラノサウルスに羽毛が生えていた(かも)
というニュースを
受け止め切れないらしい主体。
「同志だと信じてたのに」
裏切られた感まんまんなところを見ると、
特に頭髪関係の親近感があったんでしょうか。
そういえば、
あの羽毛ティラノサウルスの画像、頭部ふっさふさでしたね。
で、このうたで一番面白かったのが、
結句の「隕石落ちろ」
っていう呪いの言葉。
いまさら!
っていうところがめちゃツボでした。

椋鳥さんの
本当のあなたがどんな姿でも好きでいるからティラノサウルス
このうたも、
前述したティラノサウルス羽毛ショックからの一首
と思います。
っていうか、ティラノサウルスの想像図って
どんどん変化してって、
もうこんなのわたしのティラノじゃない!
80c31225eadb3f9b9399a9f80560753acf8309141442149213.jpg
ってなってたりしますが、
このうたの主体は
「本当のあなたがどんな姿でも好きでいるから」
と、とてもけなげ。
恋する乙女のようなけなげさがいいなって思いました。

たかはしみさおささんの
風呂場から恐竜たちが飛びだしてゆく 足あとが成長してる
これはかわいい恐竜。
もう幼稚園なのに、もう小学生なのに、
まだ全然行動が幼いなって思う子供たち。
今もまた、風呂場からびしょびしょのはだかのままで
大騒ぎしながら飛び出していく。
(ここから妄想)
あーもう!
とか思って、
ちゃんと体を拭きなさい!パジャマ着なさい!
ホントに言わないとしないんだから、
いや、してやらないとダメなの?まだ?
みたいなことを思いながら
びしょびしょの床を拭いていて、
ふと、
床に付いた子供たちの足跡を見ると、
なんだ、もう随分大きくなってるじゃない……
って。
そういう情景を想像して、
ちびっこ恐竜さんたちのかわいらしさはもちろんのこと、
親としての心情にもほんわかしました。

のびさんの
カミナリを聞いた我が子が立ち上がり恐竜の声聞こえたと言う
それこそ恐竜ブームが現在来ているお子さんかな。
カミナリの大きな音を聞いて、
ハッ!がたんっ
「恐竜の声だ!」
ってなったんでしょうか。
めちゃかわいくてステキな連想だなって思いました。
うたの日にもコメントしたんですが、
うたには時間的なことが詠まれてないんですが、
夜の出来事って思いました。
夜って何かいろんなものを神秘的に思わせる
そんな気がします。
実はこのうたを見たとき、
レイ・ブラッドベリの短編「霧笛」をすぐに思い出しました。
毎年毎年、ある灯台の霧笛を仲間の声と思って、
遠くから一匹の恐竜がやってくる、
という話。
カミナリと恐竜の声は多分全然違うもので、
普段はお子さんもカミナリ=恐竜の声とは思わないんだろうけど、
夜の神秘性が、聞きたい音に聞かせてしまうのかも
とか思って、何かほろりとさせるうたでした。

うたの日(3月7日「7音以上の名詞」)


3月7日のうたの日は「役」「ホーム」「蕾」「7音以上の名詞」でした。

「7音以上の名詞」
厳選を重ねてつくるシルバニアファミリーファミリーの終わらない春(しま・しましま)
昨日アップしたツイッターで遊んだお題募集のやつ、
あれが8音以上の名詞だったんですが、
その後すぐにこの
「7音以上の名詞」って題が来て
思わず飛びついてしまいました。
結果は置いといても、
楽しかった。
我が家ではお父さんはくま、
お母さんはきつね
子供たちはうさぎ
とか、家族がバラバラだったりしたんですよね。
シルバニアファミリー家族、
シルバニアファミリー一家
とか考えたんですが、
どうせ遊ぶんだったら
シルバニアファミリーファミリーって重ねてもいいかな
って。

ハートを入れたうた。
シュンイチさんの
ぼんやりと月夜あゆめばラスコーリニコフ心の路地に住むなり
「ラスコーリニコフ」
という長い名前。ロシア文学にうといわたしでも分かります。
ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公の名前ですね。
このうたを読んで、
まず月夜の路地を想像しました。
うたでは主体がいる場所を路地とは特定されてなくて、
「路地」は後から「心の路地」として登場するんですが、
それが合わさって、まるで夜の路地を歩いてるように感じました。
そこに登場するラスコーリニコフ。
さて彼はいつのラスコーリニコフなんでしょうか。
ことを起こす前なのか、起こした後なのか。
どちらにしても心に住む人物としては重たい存在ですよね。
普段から、自分の心にはラスコーリニコフが住んでいる
とは主体は意識してなかったと思うんですがどうでしょう。
「ぼんやりと月夜あゆめばラスコーリニコフ」
まるで、ぼんやり歩いているとばったりと古い知人に出会ったような。
なんでここで彼が出て来るんだろう、
と考えて、
きっと自分の「心の路地」にずっと住んでいたんだろう
って思う、みたいな感じじゃないかって思います。
何か重なるところがあったのかも知れません。
さすがに人殺しを厭わないぐらいの独善さが彼と一緒
って程ではないと思いますが。
「月夜」が印象鮮明で、はっと思ううたでした。
ところでこのうた
「ラスコーリニコフ」が三句と四句に跨ってます。
人名を途中で割るのって変な気がするので、
「ラスコーリ」「ニコフ」と分けて読みたくないので、
わたしはここを一気に読んでしまいました。
えーっと、
ここでちょっと遠回りするんですが、
短歌のリズムって
57577ですが、
もうちょっと言うと、
5(+3音の休符)7(+1音の休符)5(+3音の休符)7(+1音の休符)7(+1音の休符)
じゃないかなって思ってます。
あ、これは俳句をそう読むので短歌にも勝手に当てはめてるだけですが。
●●●●●○○○●●●●●●●○●●●●●○○○
●●●●●●●○●●●●●●●○
という感じ。
それにこのうたを当てはめると、
ぼんやりと○○○月夜あゆめば○ラスコーリ○○○ニコフ心の○路地に住むなり○
となるんですが、
前述した通り、人名を割りたくない。
しかもけっこう間に休符を入れて読みたくない。
ということで勝手ではありますが
ぼんやりと○○○月夜あゆめば○ラスコーリニコフ○○○心の○路地に住むなり○
と、句跨りというよりはやや破調で読ませていただいたことを
ここに書いておきます。

音符を入れたうた。
睡さんの
ラブポーション・サーティーワンにかぶりつく 待つのはいつも私ばかりだ
ついこの間も
勢いがあって、明るくて、ピンク色がすき
って書きましたが、
そう、ホントそういうのがすきなんだなぁって
あらためて今思ってます。
「ラブポーション・サーティーワンにかぶりつく」
ってこの勢い、このアイスの色味。
アイスのチョイスいいですよね。
ハートがまぎれてるんですよ。アイスの中に。
恋する女の子のアイスにぴったりって思いました。
「かぶりつく」もいいなって思いました。
待たされてるっていういらだちを、
言葉じゃなくてアイスにぶつけてる感じが
めちゃかわいいなって思いました。
そこから一マス空けの下の句で、
でもやっぱりこういうの辛い
っていう心情がほろっと素直に出ちゃうとこもいいなって思いました。

けらさんの
チロリアンテープの赤い縁取りで少し跳ねてる上履き袋
「チロリアンテープ」!
かわいいですよね。もうそれだけでもかわいい。
しかも「赤い縁取り」の「チロリアンテープ」。
なんてかわいいんだろう。
手作りの上履き袋でしょうか。
そりゃかわいくてうれしくて弾んで跳ねちゃうなって思います。

小川けいとさんの
リュウグウノツカイはいつも目的を達成できず浜で死んでる
「リュウグウノツカイ」って、
そういえばわたしたちの目に触れるときって、
大体死んでしまった後ですよね。
浜というよりはわたし的には水揚げされてしまうイメージでしたが。
昔はこの魚が浜にあがってると、天変地異の前触れとされたとか。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが、
この「リュウグウノツカイ」を
「いつも目的を達成できず」と捉えているところが
面白い視点だなって思いました。
「竜宮の使い」ですからね。
何かお使いの目的を持っていたと見るところ、
面白いなって思いました。
もしかしたら、
作者(と断定していいのかわかりませんが)は
なんとなくこの魚の死を自分に当てはめてるのかな
って気もします。
「目的を達成」出来た!って思えることって
あんまりないですし、
なんとなくもやもやっとした気持で見る
リュウグウノツカイの死は、
お使いの不達成であり、何か達成できた気がしない自分の投影かも
とか思ってしまいました。
深読みですいません。

木蓮さんの
君は今笑ってますか ふと白いナンジャモンジャノキを仰ぎ見る
わー「ナンジャモンジャ」!
ってちょっとテンションがあがってしまいました。
わたしナンジャモンジャの花大好きなんです。
満開になると白雲みたいなボリュームで、
ほんと、思わず「仰ぎ見」ちゃいますね。
この雲のような白い花を見てて
古い思い出がふーっと湧き出される感じ、
なんか分かるなぁって思いました。
そして、今も幸せでいてほしいっていう
切なくもやさしい気持になっちゃうなって思いました。

ところで、
こういう長い名詞を、
57577の定型の中にどう組み込むか
って結構難問ですよね。
ジャスト7音の名詞であれば、
とりあえず二句目、四句目、結句のどれかに
ぴたっとはまるかも知れませんが
今回の出詠を改めて見たところ、
結句に置かれてるのが6首。
二句目にジャスト7音で置かれてるのは1首のみ。
なんとなくほほぅと思わされました。
あえてなのかもしれないんですが、
破調にしてあるうたが
結構あった印象。
わたしの感覚で破調、
あるいは破調気味だなって思ったのは
10首ほど。
その中で、ちょっとおっと思ったのが
@aokikenichiさんの
赤丸がスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ彼の地図帳どこか淋しい
でした。
「スリジャヤワルダナプラコッテ」って、
覚えるときについ、
「スリジャヤ」「ワルダナ」「プラコッテ」
って切ってしまいますが、
本当はこのうたの通り
「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」
中黒を付けなかったら、
多分、定型に当てはめて読んでしまうところですが、
これを敢えて定型を崩しても、正しく切れるところに中黒を置かれた
っていう姿勢、この都市への敬意が感じられていいなって思いました。

うたの日(3月6日「第」)


3月6日のうたの日は「留」「手紙」「旧」「第」でした。

「第」
傷つけるつもりは毛頭ありません第一これは絹ごし豆腐(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
ホシキョウイチさんの
受かったと第一報のメールくる来年次女かと気を引き締める
長女さんの受験の合格を知らされたシーンでしょうか。
初句に
「受かった」
っていう言葉がいきなり来るところがいいなって思いました。
もう初句から嬉しい感じ。
「第一報」だから短いんでしょうね。
メールの向こう側のお子さんの嬉しさまで伝わってくる感じします。
で、そこからもう
「来年次女かと気を引き締める」と、
ぐっと次へと気持を持って行くところが、
年子の親って感じ。
受験って受ける本人もですが、
親も大変なんですよね。色々と。
うたの日にも書いたんですが、
「メールくる」「引き締める」と終止形を並べる形式は
ちょっと流れが悪く感じるかなとも思ったんですが、
親としての正直な二つの気持がいいなって思いました。

音符を入れたうた。
もたろさんの
車窓から次第に小さくなる君が大きくなって僕からあふれた
「次第に小さくなる君が大きくなって」
っていう矛盾した言葉が、
「僕からあふれた」で、
あーそういう感じか!
って分かるというしかけが面白いうたって思いました。
目に見える「君」はどんどん小さくなっていくのに、
反比例して「僕」の心の中の「君」は
どんどん大きくなって、心からついにあふれてしまう。
あふれた分はきっと涙だったり声だったり、
そんな感じなんだろうなって思います。
「車窓」という言葉もあるので、
駅での別離の情景かなって思います。
こういうシーンってよくあるっていえばあるんですが、
割と残される側からの切なさが詠まれ勝ちって気がします。
でも、このうたは、
主体の方が電車に乗ってるように思えるんですよね。
そうか、そういう切り口もあるなぁって思って、
ほほぅって唸ったりしました。
一つだけ気になったのは、
「車窓から」の「から」の部分。
ここの「から」で、
わたしは主体が電車の中、「君」がホームにいる
と思ったんですが、
それにしても、なんとなく「から」に続く言葉が
見当たらなくて落ち着かない感じ。
なので、
もしかしたら
車窓の内側にいるのは「君」の方なのかな
とも思ったりするんですが、
「車窓から次第に小さくなる君」
って想像しますと、
車窓の大きさは変わらずに、君だけが小さくなってるみたいで、
それはどう考えてもおかしいだろう
となると、
やっぱりちょっと省略部分が多すぎる気はするけど、
「車窓から(見ていると)次第に小さくなる君」
みたいな感じなのかなぁ……うーん。

宮本背水さんの
バス停で歓喜の歌をささやけばやがて合唱となる春の日
このうた、すごくすごーくステキだなって思いました。
厳密に言うと別の歌かも知れませんが、
ゴスペルソングの「ジョイフルジョイフル」とかも想像しちゃいました。
バスを待ちながら、
なんとなく気持が高揚して
「歓喜の歌」を小さな声で口ずさんでいたら
それがどんどん広がっていって大きな合唱になった、と。
この合唱って、フラッシュモブ的なそういうホントの合唱でも
ドラマチックでステキだなって思うんですが、
わたしはイメージとしての合唱って読みました。
「歓喜の歌」をつい口ずさんでしまったのは、
小さな春の気配に気がついて、
なんだか嬉しくなってなんだろうなって思って、
最初は主体の中だけにあった春の歓びが、
どんどん回りも歌にしていって、
めくるめく春が始まった、みたいな。
うーん、言ってる意味が分かるでしょうか。
ファンタジックな春の始まりを映像的に表現されてるような
そんな感じがしました。
「歓喜の歌」ですし。
バス停っていう世界の片隅から、
空に、木に、丘にって広がっていくような……。
下の句が句跨りになってて、
ちょっとがたついてるのが残念ですが、
それ以外は本当にステキだなぁって思いました。
ただ、
「第」の題詠として考えた時に、
「歓喜の歌」←「第九」←「第」
っていうのは、やや弱いんじゃないかな
って思ってハートが付けられませんでした。
「第」のテーマ詠じゃなくて「第九」のテーマ詠になっちゃいますし。
でも、これが自由詠だったら、
あるいは中に詠みこまれてる他の言葉の題詠だったら
絶対ハートだったなぁってぐらいステキなうたでした。

七緒さんの
第三種接近遭遇めいめいの母船のことを教えてほしい
「第三種接近遭遇」、いわゆる「未知との遭遇」ってやつですね。
「第」って題詠、すごく難しいなぁ
って思ってたんですが、
他の人のうたを詠んでて、こんなにバラエティに富むんだ!
って思ってただただすごいなぁって思いました。
このうたなんてSFですよ。
面白いですよね。
もしも他の星の生命体に出会ったとして、
どんなことをまず聞きたいだろうって思った時に、
「母船」について聞くって!
この質問者も何か宇宙船開発とかに携わってる科学者とか
エンジニアとかそういう人なのかなって
想像が膨らみました。
しかも
「めいめいの母船」
なので、
複数の異星人がいて、
それぞれが別の母船を持ってるらしいってことですよね。
まあ、ここまで突っ込んだ話になってるってことは、
第三種接近遭遇というよりは、第五種まで進んでると思われるんですが、
とにかく面白いうたでした。

うたの日(3月4日「圧」)


3月4日のうたの日は「暖」「想」「圧」「良」でした。

「圧」
圧力鍋の蒸気を抜くのがこわいので図書館へ行くシチューを置いて(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
銀さんの
風圧で好きと伝われこの春は桜吹雪を味方につける
この春に行われるであろう告白の
その情景がわーっと頭の中に鮮やかに浮かんで来る
そんなうたで、
とにかくそこが魅力的でした。
勢いもありますよね。
わたし勢いがあって明るくて、
そしてピンク色のイメージが
実は大好きなんですよ。
このうたにはそれが全部入ってるんで
ハートを入れるしかなかった。
何かのキャッチコピーになるんじゃないだろうか
って思うぐらいにリズミカルですよね。
「風圧で好きと伝われ」
っていう上の句の命令形。
そこからの間髪入れない感じで続く
「この春は」って上の句の頭が入ってくるの、
いいなって思います。
二句切れって上の句と下の句の間に、
あんまりインターバルがないような感じがして
勢いが出るのかもって思いました。
絶対この恋成就させる!みたいな
そういう強い思いとうたの勢いが魅力的なうたでした。

音符を入れたうた。
中牧正太さんの
蠢くなまだ飛び出すなポケットの中の圧倒的アイラビュー
意図したわけではないですが、
ハートを入れた銀さんのうたと
もしかしたら同じ鑑賞を書いてしまいそうな、
そんなうたでした。
これも二句切れでリズミカルな
将来的に愛の告白を予感させるうたなんですよね。
ピンク色はないんですが、
その代わりにこのうたには
「圧倒的アイラビュー」がある。
そして「蠢く」がある。
このきっちりとパワーワードを置いていくスタイル、
あーわたし作者わかっちゃったんですけどですけど
って思って一人でほくそ笑んでしまいました。
「圧倒的アイラビュー」の鮮やかさは勿論ですが、
「蠢く」がすごいなって思いました。
そうとうに気持の悪い言葉ではありますが、
「春」って漢字が含まれてます。
「蠢」って「しゅん」とも読みますし、
「春」のイメージをさらっと紛れ込ませてるんだろうな
って思うと、
うーんやるなぁと唸るしかない感じ。

小林礼歩さんの
雨の日のしるしを受けた一枚の圧着ハガキをゆっくりはがす
「圧着ハガキ」って、
わたしのところに届くのはあんまりいいものではないことばかりなんですが、
このうたの圧着ハガキは、
きっと特別な知らせが隠されてるんじゃないかなって
そんな気がするうたでした。
「雨の日のしるしを受けた」
っていうところがステキですよね。
明らかに雨粒が落ちて濡れた形跡がある
っていうのを、
なにか福音のように捉えられてるような。
しずかな佇まいも感じられていいなって思いました。

森下裕隆さんの
生ぬるい缶を圧迫面接を終えた瞼に押し当てている
情景も、缶を瞼に押し当てるその理由もすっと分かる、
自然な感じがいいなって思ったうたでした。
「圧迫面接」の強い「圧」と、
缶を押し当てるという弱めの「圧」の
強弱とか疲労と癒しの対比とかが
いい感じだなぁって思います。
残念だなぁって思ったのは、
読んでみるとちょっとリズムが悪いというか
「缶を」「面接を」と「~を」が並んだ形になってて
意味が取りづらくなってるところ。
言葉の順序を入れ替えたりすると
もうちょっとすっきりするかもって気がしました。

うたの日(3月3日「耳」)


3月3日のうたの日は「三」「娘」「耳」「サザン」でした。

「耳」
お忘れ物取扱所にいた人のその後をとんと耳にしません(しま・しましま)

ハートを入れたうた。
小林礼歩さんの
耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し吾子は世界の音を操る
このうた、
一目みて、あっこれは凄い!
って思いました。
子供を見る大人の視線があって、
しかも子供あるある的な一般論ではなくて
「吾子」つまり我が子への視線と限定されてるところが
なんだかすごくいいって思いました。
子供、特に幼い子供って
聞きたくないとかうるさいっていうときに、
本当に自分の耳をふさいじゃう子がいますよね。
あれ、うるさいと思ってるアピールって思ってましたが、
そうやって自分で聞きたい音と聞きたくない音を選んでるんだ
って思うとそれはそれで、
なんかすとーんと理解できてしまいました。
「世界の音を操る」って表現もいいなって思いました。
「世界」って言っても、
この場合の「世界」は、
広い世界のことではなくて、その子の中の世界なんだろうな
そうやって少しずつバランスを取ってるんだろうな
って思わせられました。
実際にその子がどういうつもりで
「耳ふさぐ耳ふさがないを繰り返し」ているのかは、
わかりませんが、
そういうことなんだろうって親は捉えているんだろうな。
大人としての言葉遣いや視点で子供を詠むって
なかなか難しいところだと思うんですが、
そこがしっかりされてて、ホント凄いうたって思いました。

音符を入れたうた。
久保 直輝さんの
雪かきの手を休めると春はすぐそこだよという風の耳打ち
雪国ならではのうたと思いました。
この冬は全国的に大雪が降って、
例年ならば一度もすることがないことがおおい雪かきをしなくちゃいけなかった
みたいな地域もあると思います。
わたしの住んでる地域もそんな感じでした。
でも、このうたの「雪かき」は、
それとは違うんじゃないかなって気がします。
「春はすぐそこだよ」って「風」が教えてくれるんですよね。
雪かきが必要な大雪の中にも、
どこか春の予感が感じられるって
なんとなくいいなって思いました。
「風の耳打ち」っていう結句がいいなぁって思います。
風が擬人化されてることで、
メルヘンチックにも思えますが、
結句に体言止めで置かれてることで、
「耳打ち」の方が強く印象に残って、
実際に何か耳打ちされたような、
体感で分かった、みたいな感じがしました。
でも、「風の」なので、
その耳打ちも、はっきりしっかり分かるようなものではなくて、
かすかな、本当にかすかな春の予感って気がします。

鳥尾鮭介さんの
わるいのは私だけなの 食パンの耳を深めに切り落とす朝
うーん、
このうたって上の句をどう読むかで
かなり雰囲気の変わってしまううたって思いました。
「わるいのは私だけなの」
を最後に?がつく疑問として読むか、
フラットに読んで自分でそう認めてるところなのか。
わたしは前者で読みましたが、
もしかしたら
後者なのかも知れません。
後者だとしたら、
反省してしょんぼりしながらの「私だけなの」なのか、
はいはい、どうせ私だけが悪いんですよ
みたいなキレ気味な「私だけなの」なのか
また新たな分岐が出来そう。
上の句を受け止める下の句次第って感じですが、
「食パンの耳を深めに切り落とす朝」は、
上の句の方向性を定める手助けというよりは、
上の句で出された主体の感情を
補強するような感じに思えます。
なので、この上の句の読みのぶれそうな感じは
ちょっともったいないなって気がしました。
で、前者で読んだわたしなんですが
うたの日に
直接それを言えればいいのかも知れないけど、朝から言い争いはしたくない、みたいな感じでしょうか。持って行き場のないイライラが包丁さばき(サンドイッチ用でしょうか)にまで出ている感じ、でもちゃんと丁寧に作ってるっていうところがいいなって思いました。
ってコメントしました。

中牧正太さんの
ああ僕じゃだめな理由が端的で耳のかたちが芸術的だ
白状しますが、
実はこのうた、
最初「ああ僕がだめな理由が端的で」
と見間違えて鑑賞していました。
それで、男性が女性にばしばし叱られてるところを想像してました。
あ、違う!
って気付いたのは、
票を入れ終わって、コメントを考えていたときでした。(遅
その時のわたしのびっくりたるや……
やべっって思って、
改めて読み直したんですが、
よかった……それはそれで魅力的なうただった
ってわかってホッとしましたね。
しかし、「が」と「じゃ」、
たった一音の違いで、
はっきりと振られている情景が
ばしっと叱られている情景に変わっちゃうって
なんかすごいことだなって思ったりして。
改めて読んで、
わたしは自分をちゃんと振ってくれた(って言い方も変ですが)人の、
その「耳のかたち」を、
ショックを受けつつも、ついつい賞でずにはいられない、
みたいな感じかなって思いました。
綺麗な人って耳まで綺麗なんだろうなって。
振られてしまってるけど、
でも大好きなんだなって思って、
そこの部分は「じゃ」でも「だ」でも変わらないんで
やっぱり票を入れてよかったってうたでした。

高木一由さんの
パンの耳ばかり増えてく冷凍庫ニベアを塗った踵(かかと)が痛い
「パンの耳」を詠まれたうたは、
今回いくつかありましたが、
ほとんどがどちらかと言うと負の感じのするうたでした。
一つだけ、そうでもないうたがありましたが
それについてはあとで書くとして、
「パンの耳」と限定的に言う場合、
やっぱり本体から切り離されたそれっていうところ、
切り落とされる
っていう部分に、
なんとなく痛さが重なるんだろうなって気がします。
さて、高木さんのうたですが、
「パンの耳ばかり増えてく冷凍庫」
「ニベアを塗った踵が痛い」
と、直接は関係のない二つの事柄が並べてあるという形式。
最初、パンの耳ばかりが入っている冷凍庫を想像して、
凍ってはいるんだろうけど、
暖色系のパンの耳がいっぱい詰ってて、
なんとなくあたたかそうだ
って思ったんですが、
その後すぐに、
でもなんでパンの耳?
そんなに冷凍庫に溜まるものなの?
って考えて、
うーんこれは、サンドイッチとか作る時に
パンの耳を切り落として、
とりあえず今は使わないから冷凍しておこう
ってやつが、使われないままに増えていく
っていうことなのかなって思いました。
使わないのにもったいないから取っておく、
でも使わないから増えるばっかり
って、これはそうとう空虚な感じだなぁって思った時に、
一応手当てはしてあるけどもまだ続く踵のズキズキした痛みと
なんとなーく呼応してるかもって思いました。
望んでたのはこんなことじゃないんだっていう
空しさみたいな感じが漂うところがいいなって思いました。

西村曜さんの
食パンの耳に沿わせる舌 聞いてないのはきみも同じだろ、なあ
前述のパンの耳の、
これだけが切り落とされてないもの。
でもやっぱり、
何かしら明るさはないような気がします。
句跨りというか句割れ(?)が多用されてて破調なので、
その所為もあるかも知れません。
「食パンの耳に沿わせる舌」
という上の句、
体言止めで「舌」がクローズアップされてるようで、
なんかとてもエロチックにも思えますし、
同時に、普通はしない「パンの耳に舌を沿わせる」という行為の
なんとなく空々しい感じが、
いかにも人の話を聞かない人っぽい感じがして、
面白いなぁって思いました。
この舌の持ち主が、
「あなたは人の話を聞かない」
って主体をなじったんでしょうか。
それに反論として
「聞いてないのはきみも同じだろ」
って言って、
しかも「なあ」と強めに迫ったりしてますが、
「舌」なんか見てるところからすると、
これは下の句の反論よりも上の句の「舌」の方が強そう。
中牧さんの「耳」も西村さんの「舌」も、
関係ない相手の体のパーツに視線を取られちゃったら
負けっぽい感じがするんだなぁと思って
面白かったです。

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