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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <笠和ささねさん>

笠和ささねさんのどことなく湿り気のあるユーモアとか
陰のある笑いとかが好きだなぁって思います。
あと、
意外性の突き抜け方が思い切りよくて、
そこも好き。
そういえば、
うたの日の参加者さんの中には、
何人か男性なのか女性なのか
分からない人がいらっしゃいますが、
じつは笠和さんも、
はっきりと分からない人の一人。
でも、うたを読んでて
作者の性別なんてあんまり関係ないのかもな
って思わせるようなうたを
読まれる方でもある
って気がします。

2015年12月13日『的』
腰を落ち着けない君に当てるため門を叩いた流鏑馬の会
「腰を落ち着けない君」
なので、
実際に攻撃するための矢ではなくて
ハートに射る恋の矢ではないかなって思います。
が、
そのために
「流鏑馬の会」の門を叩く
っていう迂遠な方法というにも
ちょっとずれすぎてる発想が
めっちゃ面白いなって思います。
どことなく大真面目っぽくて
これは本当に(短歌上の事実としてですが)
流鏑馬の会に入会しそうな勢いがあるな
って思ううたでした。

2015年12月19日『温泉』
制服も少し世慣れた香りする温泉街から通う級友
このうた、
めちゃ好きですね。
「世慣れた香り」「温泉街」
に、
「制服」「級友」。
よく考えたら男とも女とも分からない
「級友」なんですが、
上村一夫の描くような
切れ長の目の少女とかが浮かんで来ます。
内心ちょっと憧れに似たモノを抱きつつ、
近寄りがたくも思ってる
大人びたクラスメイトを見るまなざし
みたいなものが感じられて
うーん、いいな
かすかな淫靡さがめちゃいいなって思いました。

2015年12月24日『前』
クリスマスケーキを君とわかち合ういちごハウスの夜景を前に
このうたも、
すごーく好きで
そうだ、ハートを入れたんだっけ
とか思い出します。
当ブログで感想を書かせてもらったんですが、
上の句の
「クリスマスケーキ」を「わかち合う」
っていうあたたかな情景と、
灯りのともったビニールハウスが並ぶ、
多分昼間見たらちっともロマンチックにならない風景
っていうのが
妙にリアルでいいなって思います。
わたしが田舎育ちだから余計に、かな。
ハウスの中でいちご栽培をしてるって
最初から知ってるというところから、
多分、このケーキを食べてる場所は
主体に自宅と思うんですよ。
クリスマスケーキにも多分いちごが乗っていて、
窓の向うには、
いちご栽培のビニールハウスが
夜を点してる。
なんかどう表現したらいいのか分かりませんが、
胸がほわっと温かくなるうたって思います。

2016年04月09日『土曜日』
土曜日のビームライフル実弾で人を撃つ日が怖くて行けず
「土曜日の/ビームライフル実弾で人を撃つ日」
というのがひとつながりのフレーズ
と、読めないこともないんですが、
「ビームライフル」で
「実弾」っていうのも変な話なので、
やっぱり
「土曜日のビームライフル/実弾で~」
という切れになってるんだろうなと
改めてまず思いました。
となると、
(土曜日の)「ビームライフル」と
「実弾で人を撃つ日」
は別の日、
多分後者は平日と思われるんですよね。
実際に
「実弾で人を撃つ」
わけではないにしろ、
平日の外の世界には
主体にとって怖いこと、
誰かを傷つけて、自分を傷つけるかもしれないことが
起る可能性がある場所で、
それよりはずっと
「土曜日のビームライフル」、
ゲーム画面などで架空の武器を使って、
架空の戦いをしている方がマシ
って思っているのかなって思いました。

2016年06月10日『自由詠』
髪型のせいかなぼくもラプンツェルだったと知らず読んでた童話
どうも、
うたの日で自分が票を入れたうたばかり
ここでも選んでしまうきらいがあって
どうしたもんかなぁって思ってます。
まあ、それはおいておいて。
このうたも、
ぱっと見に、
どこで切って読むのかなって
思ってしまうようなうたですが、
「髪型のせいかな/ぼくもラプンツェルだった
と知らず/読んでた童話」
と切って読みました。
「ぼくもラプンツェルだった」
という気付き、
意外性があって、おおぅって思いました。
ただ、
ラプンツェルのような
長い長い髪がなかったので、
そうだと気がつかなかった。
気がつかずに、
自分の物語であるはずのこの童話を
他人事のように読んでいた。
でも、あのころ「ぼく」は
たしかに「ラプンツェル」のように、
高い塔に囚われて育ってたんだ
みたいな感じかな。
「ぼくもラプンツェルだった」
ということ以上に、
それに気がつかずに、
その童話を読んでいたことに
主体の気持があるところがいいなって気がします。

2016年11月15日『悪』
ねぇ どうして インコがページ噛んだこと返すときうまく言えないんだろう
なぜドリカム?
って不思議な気持になるんですが、
「ねぇ どうして」「うまく言えないんだろう」
っていうスタイルが
じわじわ来るなって思いました。
「インコがページ噛んだこと」
って、なんか凄いなぁ。
なんか凄くて、可笑しくて、
じわじわかなしい感じがして
好きなうたです。

2017年01月22日『瞼』
ねえわかる?話を聞いてない君を瞼に描いた目で見ているの
このうたも、
凄くて、可笑しくて、
それから
うわーって悲しい気持になっちゃうた。
「ねえわかる?」
なんて言ってるけど、
こんなこと言わせるっていうことは
この「君」は
「話を聞いてない」だけじゃなくて
主体を見てもない
っていうことなんですよね。
つら過ぎる……
しかもそのつらいシーンに、
瞼の上から目を描いた女の子が
ずっと目を閉じながら喋ってる
かと思うと、
いたたまれないな
って思ううたでした。

2017年03月05日『館』
館の字が舘ひろしって見えたほど泣きたがってる 信号待ちで
「舘ひろし」っていうと、
今でもやっぱり「泣かないで」イメージ
で、いいんでしょうか。
何かの看板の文字なのかな
「館」という文字が
「舘」ではなくて、
そこを通り越してもう
「舘ひろし」に見えてしまって、
そこから
舘ひろしのヒット曲「泣かないで」が
多分脳内にふっと現れて……
っていうところも
まるっと通り越して、
ああ、自分はそうやって言われちゃうぐらいに
「泣きたがって」いたんだって
気がつく。
このスピード感のある飛ばし方が
面白くて好きだなぁって思います。
一マス空けの結句「信号待ちで」あたりで
ちょっとだけ落ち着いてる感じなところも
なんとなくツボでした。

2017年04月30日『糸』
冬鳥の旅立つ頃だアクリルの毛糸が指をやすりがけする
「アクリルの毛糸が指をやすりがけする」
っていうのが、
わかるようなわからないような
そんな情景なんですが、
例えば、
アクリルの毛糸で何か編み物をしてて、
指をこすっていく毛糸の摩擦を
「やすりがけ」
って表現されているのか、
あるいは、
アクリル毛糸って、ほら、
エコたわしとかつくったりするので、
そのアクリル毛糸製のエコたわしで
何かをこすってて指を……
ということなのかなと思ったりします。
どちらにしても
室内で多分一人でやってるんじゃないかな
って想像します。
で、
今ごろ冬鳥は……と想像してる。
その想像の飛ばし方が好きだなぁって思います。

うたの日の人々 <沼尻つた子さん>

沼尻つた子さんは、うたの日デビューから圧倒的だった人。
デビューっていっても、
「うたの日」デビューですからね。
ところで、
沼尻さんというと、
わたしはまず、
そのお名前がとてもすてきだと思うんですよ。
わたしの筆名がこんななので、
あんまり説得力がないんですが、
例えば、
父がつけしわが名立子や月を仰ぐ/星野立子
われの名に奈落の奈の字曼珠沙華/辻美奈子
のような、
自分の名前を詠みこんだ作品がよめるような
そんな名前ってすてきだなあって
思ってました。
沼尻さんにもそういう歌があって
みずからにつけたる姓の沼の淵われはときどき覗きこむなり
わたしが初めてこのうたを目にしたのは
たしか沼尻さんのネプリだったと思うんですが、
とても印象深くて、
第一歌集「ウォータープルーフ」の
巻頭に掲載されているのをみて、
おおぅ……
って、ちょっと感激したのでした。


2015年05月22日『灯』
ほの赤い常夜灯に見おろされている 誰かを愛したい、もういちど
このうたをうたの日で見たとき、
通路とかにある常夜灯
って想像して読んでいたんですが、
天井照明の豆電球
って読んだ方がいいのかな
と、いま思ってます。
「見おろされている」感も
そっちの方がありますし。
だとすると、
一人で眠る夜(通常運転)かな。
その一つだけ消し残している豆電球の下で、
ふと思う下の句の感じ、
いいなっ思います。
「誰かを愛したい、もういちど」
愛されたいのではなくて
まず、「愛したい」っていうところに、
孤独感と、
もしかしたら自省的な気持もあるのかなと思ったりします。
で「もういちど」と重ねるところが
なんかいいなぁって気がします。
「もういちど誰かを愛したい」
の倒置というよりも、
まず「誰かを愛したい」って思って、
その後で
「もういちど」って思ったっていう
順番のような気がしました。

2015年06月04日『刺』
やんわりと馬刺をさくらと呼ぶように筆名でわたしに紗をかける
ねっ、
こういうことが詠めるって
すてきだなぁと思うわけです。
いやほんと筆名大事。
また歌集「ウォータープルーフ」の話をしますが、
この歌集に、
オウムの菊池直子を詠まれてるうたがあって、
その中に彼女の偽名が詞書になっているものがあります。
もしかしたら、
沼尻さんは「名前」のもつ力について
色々と考えられるところがあるんじゃないか
そう思ったりします。
生身の自分に「紗をかける」ものであったり、
自分自身よりも長く残るものであったり、
別の人生を生きるための鍵だったり、
そんなことを考えてしまううたでした。

2015年06月13日『ゾンビ』
会いたくて会いたくて這い出て来ちゃったの 涙とともにこぼす眼球
「ゾンビ」っていう題で、
この純愛ぶり!
っていうのが面白くてかなしいうたでした。
「会いたくて這い出て来ちゃったの」
っていう二句から三句のフレーズの
リズムといい「ちゃったの」の語感といい
ねばっこくて、
「会いたくて会いたくて」感と
眼球がこぼれる感が
もう溢れてるな!って思いました。
ところで、
このうた、
園まりの「逢いたくて逢いたくて」が
下敷きにあるのかなって思ったんですが、
どうなんでしょうね。
もちろん作者沼尻さんの時代には
すでに懐メロなので
そういう年代ではないんですが。(わたしもですが)

2015年06月14日『石』
オオカミの腹に詰められた石ころの重さ 誘拐報道をみる 
子供が被害者になる事件は
どれも背中がすうっと寒くなるんですけど、
「誘拐報道」と
童話の悪いオオカミの末路の
重たい響き方がさすがだなって思いました。
赤ずきんなり、七匹のこやぎなり、
オオカミは子供を狙って、
そして最後はおなかに石を詰められます。
この石の重さを感じるのが
犯人であれ、
っていう怒りもあるのかも知れませんが、
同時に、
なんとなくですが、
読んでいるわたしのおなかが、
ずうんと冷たい石が詰められて重い
ような気持になってしまいます。
「石ころの重さ」の
体言止めで一旦はっきりと切れているところが
よけいにそんな感じを受けるのかも。

2015年06月19日『さくらんぼ』
着飾って白玉あんみつ姫になる三歳、さくらんぼの紅をさす
愛らしくてつやつやな
幼い女の子の姿が浮かんで来るようで、
めちゃいいなって思ううたでした。
このうたを口に出して読むと、
余計にいいなって思うんですよね。
「きかざって・しらたま・あんみつ・ひめになる」
のところの
明るいリズムの響きとか、
「さんさい・さくらんぼの」の
題の「さくらんぼ」に繋がるための
「さ」の重なり方とかも
弾むような幸せな感じ。
もう、どう考えても
これは愛らしい三歳児さん、
って思います。

2015年07月02日『沈』
海底に沈んだ都市のように聞く あなたと暮らしていた人のこと
このうたも
ホントいいなって思います。
「海底に沈んだ都市」っていう遠さが
ほんのりと
「あなたと暮らしていた人のこと」を
聞くときの主体の感情なんだなぁ、きっと。
自分の生活にちっとも肉薄しないけど、
なんだか少しかなしい気持がこみ上げるような
そんな感じなのかなって思いました。

2015年07月29日『素』
待つことが楽しかったよ水槽にシーモンキーの素ふりいれて
子供の頃、
「待つ」っていうのは
楽しいことの前段階で、
わくわくする時間だったんだなぁって
このうたを読んで思いました。
「シーモンキー」っていうのは
昭和に流行った玩具のような生き物。
水槽に「シーモンキーの素」である卵を入れて、
数日するとそれが孵化してシーモンキーが生れる、
というもの。
わたしは飼育したことがないので、
そういうもの、と聞いてます。
きっと、飽かずに水槽を眺めて、
シーモンキーの孵化を待ったんでしょうね。
大人になった今、
そうやって何かをわくわくして待つことって
あっただろうか。
先へ先へって気持ばっかり焦って、
今は「待つこと」を楽しんでないんじゃないか
って、そこまで考えちゃうと、
深読みのしすぎかな。

2015年10月07日『象』
木製の象のさしだす鼻先に時計あずけてあなたは眠る
何気ない日常のスケッチな感じですが、
幸せな感じがいいなって思います。
「木製の象」っていうアイテムが
いいんですよねぇ。
日常に彩りを与えてくれる小物、
みたいな感じで。
ちゃんとした毎日を暮らしてるって
そんな小物な気がします。

「あずけて」「眠る」っていうところの
「あなた」の無防備さもいいなって思います。

2015年12月11日『キリン』
金色のキリンがパレードするような公孫樹並木をあなたと歩む
このうた、
うたの日で見たときから
もう大好きなうたのひとつです。
「金色のキリンがパレードするような公孫樹並木」
っていう一つながりのフレーズが
めくるめく明るい金色のパノラマな
そんな感じがして
うわー幸せな道だ!
ってうっとりしちゃいます。

2015年12月16日『白』
飛び散った漂白剤のひとしずく閃光として胸もとにある
鮮やかなうただなぁって
もう、うたの日で初めてみたときから
好きです、このうたも。
漂白剤のあとって、
白い布地だとしても
白の種類によっては残っちゃうっていうか、
蛍光の白になったりするんですよね。
その蛍光な感じが
「閃光として」残ってしまう、
あるなぁって思います。
同時に、
「飛び散った」ときの
あっ!
っていう瞬間の気持が
「閃光として」その跡を見る度に思い出される、
みたいな感じもします。
最後の「ある」に
「漂白剤のひとしずく」が
感じられるところもいいなぁって思います。

うたの日の人々 <雨さん>

雨さんのうたはセクシー。
セクシーというか、
直接的に性愛を詠まれていなくても
どこかエロチックな雰囲気がして
魅力的だなって思います。
わたしの不得意分野だけに
鮮やかに詠まれてて印象に残りますね。


2015年11月15日『スープ』
こんなにもふたりっきりが淋しいわスープが両手を温める夜
上の句の
「こんなにもふたりっきりが淋しいわ」の、
「わ」が響くなあって思いました。
これは一緒にいるはずの
相手への言葉じゃないかな
って気がします。
実際にそう口にしたかどうかは
わかりません。
心の中でそう告げただけ
っていう感じもします。
両手を温めてくれるのは
「スープ」だけ。
というか、
気持のすれ違いとか、
なんとなくお互いに響かないとかで
スープを持つ両手だけが温かい。
そんな情景かなって思います。
両手を温めてくれるようなタイプの
「スープ」ということは、
夕食に出てきたものっていうよりは
簡単なカップスープ、
あるいは缶のスープかも。
恋人と過ごす時間の中の
ふとした孤独、
みたいなものが感じられるうたって思いました。

2015年12月17日『編』
その言葉だれに編んでるものですか私にそれをくださいませんか
気になる人が、
誰かのためらしい言葉を編んでいる。
それを主体は見てしまう。
っていうシチュエーションって
あるんだろうな
って思います。
実際にノートやびんせんに
言葉を綴っているところなのか、
あるいは
そう思える表情で
考え事をしているところ、
かも知れません。
で、
そこから
「私にそれをくださいませんか」
っていう言葉に繋がるところに
意外性があって
すてきだなって思いました。
これも、
口にはしない思いなのかも。

2016年01月25日『うどん』
いま白いのはかけ饂飩だけでいい湯気の向こうのあなたはいやだ
このうたは当ブログで感想をかかせてもらったうたでした。
その時もきっぱりとした
「いい」「いやだ」
がいいなって思ったんですよね。
かけうどんを向かい合って食べているふたり
を想像します。
「あなたはいやだ」
ってありますが、
単純に、あなたが嫌いだ
っていうことではなくて、
その前に「いま白いのはかけ饂飩だけでいい」
とあるんで、
あなたが白いのはいやだ
って言ってるんだと思われます。
向かい合って食べてるとしたら、
二人分のうどんのゆげがたって、
ぼやっと白くなってるところが「いやだ」
っていうことなのかな
って思います。
なかなか
「あなたはいやだ」
なんて言ってかわいい感じのうたって
見ないような気がして、
面白いなって思います。

2016年02月05日『紙』
しなやかな指でページの角を折る私に跡を付ける仕草で
わぁエッロい!
ってどきどきするようなうた。
「ページの角を折る」仕草が、
「わたしに跡を付ける」ような仕草
ってことなので、
実際は、
なにもされていないし、
触れられてさえいないかも知れないけども、
どきどきするセクシーなうたって思っちゃいました。

2016年02月27日『コップ』
言葉など持たねば良かった皹をもつコップ静かに乱反射する
ひとことが関係をだめにしてしまう
みたいなこと、
あると思います。
自分の言葉に自分で傷つくことも。
コップに入った「皹」は
それがどんなにかすかなものでも、
光が乱反射して、
皹のあることが分かってしまう。
下の句の具象性がいいなって思ううたでした。

2016年08月21日『枝』
八月がまだ終わらない伸び過ぎた枝毛ばかりをみつけてしまう
夏なんてもう終ってしまえばいい
って思ってるんだけど
これがなかなか終らない
もうかんべんしてよ。
みたいな感じに読みました。
夏ってなんとなく
何かをしなきゃいけない
みたいな
妙に何かにせかされる季節のような気がします。
たとえば恋愛とか
そうじゃなくても
セイシュン的なこと。
もうそういうのいらないんですけど
ってはっきり言えば、
それはそれで
何かこっちが可哀相な人みたいで
言いたくはないんだけど
って感じかなって思うんだけど、
それはさすがに
わたし個人の感覚が反映されすぎかな。
強い日差しに痛んだ髪の毛をつまめば、
枝毛、
しかも伸び過ぎた枝毛ばかりが目に付いて、
ホントもう……
みたいに読んで、
身につまされるうたでした。

うたの日の人々 <岡桃代さん>

岡桃代さんのうたは、
誠実な感じがします。
丁寧に伝えたいことを描写しよう
っていう姿勢が感じられて
ほんのりと作者の人柄が
作品の背景から覗えるような。


2017年04月13日『物』
春物のシャツ一枚の肌寒さ くしゃみの精がすぐそばにいる
春だからって春物一枚だと、
やっぱり天気や時間によっては
さっむ!
ってなりますよね。
微妙に風邪引きそうな予感がするのを
「くしゃみの精がすぐそばにいる」
って表現されてるところが
かわいくていいなって思いました。
まだ多分、くしゃみは出てないけど、
この肌寒さは
多分すぐにくしゃみが出ちゃうやつだ
っていう気配がする感じ。

2017年06月20日『地下』
それぞれのきょう一日をたずさえて惣菜を買うデパートの地下
お惣菜を買う理由って、
人それぞれにありますよね。
その理由の裏には、
その人それぞれの「きょう一日」がある。
そうだなぁって納得の一首って思いました。
「それぞれのきょう一日をたずさえて」
と、人間観察をしているようにも
思えるんですが、
きっと主体自身も、
そのデパートの地下で
「惣菜を買う」ひとりなんじゃないかと思います。
自分自身にも「きょう一日」があって
デパ地下でお惣菜を買う理由がある、
多分みんなそうなんだよね
っていううたって思います。
「たずさえて」
っていう表現の
ちょっとゆかしい感じも
好感が持てるなあって思いました。

2017年08月03日『木曜日』
週末に手のとどかない木曜日コーヒーは少し濃いめにいれる
木曜日って週の真ん中で、
前の週末の余韻はもう既になくなって久しくて、
かといって次の週末には
あとちょっと手が届かない
そんな曜日ですよね。
週末の休みを切望してるからこその
この
あとちょっと
の手の届かなさが遠く感じるのかも。
考えてみれば、
水曜もそうだともいえないこともないけど、
「木曜日」の、
なんでしょうか、語感?
その雰囲気と、
「コーヒー」を「少し濃いめ」
な感じって似合うなあって気がします。

2017年08月28日『四国』
島々に生きる想いによりそって瀬戸内の波はきらきらそよぐ
わたくしごとですが
(まあだいたいそうなんですけども)
八月に四国に行ってきました。
岡桃代さんと実際にお会いしたのも
その時でしたね。
で、その時に、
与島PAで瀬戸大橋を下りて、
瀬戸内の眺めを堪能したんですが、
ほんとこのうたの感じに
波がきらきらだったことを思い出します。
「きらきらそよぐ」
の「そよぐ」が爽やかでいいなぁ。
勝手な想像ですが、
作者はその瀬戸内の島のどこかにお住い
というよりも、
瀬戸内海周辺にお住いで、
普段から
瀬戸内海を見てらっしゃるのではないかな
って気がします。
「島々に生きる想い」
の「島々」と複数形にしてあるところに、
自分の住む場所というよりも
もうちょっと広い視線で
慈しんでいらっしゃるような感じを受けました。

2017年08月30日『止』
泣き止まない子を抱っこしてなぐさめて母さんもこわい雷の夜
雷って
やっぱりこわいですよね。
特に音が。
何度も何度も雷がなると
小さい子供だったら
やっぱり泣いちゃうんだろうな
って思います。
で、
こわくないよ、大丈夫
ってなぐさめてあげている自分自身も、
本当はこわいんです
っていう歌意と思いますが、
わたしもこわい
ではなくて
「母さんもこわい」
っていうところがいいなって気がしました。
我が子から見た立場としての「母さん」
ということなのかなって。
守ってあげる立場の「母さん」なんだけど、
でも本当は
自分自身もこわくてたまらないんだ
っていう感じがして
お母さんがんばれ!
って思ってしまううたでした。

うたの日の人々 <高木一由さん>

高木一由さん、あるいはかっちゃんさんは
どことなく童話の雰囲気のするうたが
けっこうあるなぁって思いました。
そのうたの雰囲気は
やさしかったり、切なかったりしますが。

2016年07月03日『ハンカチ』
結末がこんな悲しい物語(はなし)ならハンカチくらい用意したのに/かっちゃん
自分の涙を拭うために、
とも思えますが、
相手の涙を拭うためのハンカチ、
のような気もします。
それは本当に「物語」だったのかもしれないけど、
あえてそこに「はなし」とルビを振ってあるところから、
映画や小説みたいな「物語」ではないのかも。
「ハンカチくらい用意したのに」
の言い差しの感じが、
軽い驚きのようにも思えて、
涙を流してるのは相手かも
と思ったのかも。
「ハンカチ」で涙を拭うっていうところが
みょうにキチンとしてて、
そこが逆にウェットになりすぎない抜け感にも思えて
なんか妙に好きだなって思いました。

2016年07月29日『うっかり』
うっかりときみの名前を呼ぶことは陰膳に似たわたしの祈り/かっちゃん
このうた、うたの日で見て、
あーいいなって思ったんですよね。
「陰膳」なので、
「きみ」は今どこにいるのか、
元気にしてるのかわからない
っていう状態なのかなと思います。
ふっと、ホントに言い間違えぐらいのレベルで
「きみの名前」を口にしてしまう。
この「うっかり」な感じがいいなって思います。
ホント、
そういうつもりで口にしたんではなんだけど、
でも、考えてみれば
それも祈りのようなものなんだな。
どこにいてもいい、
せめて無事にやっててほしい、
そういう祈りなのかなって。

2016年08月24日『ダメ』
ダメんずを渡り歩いたボクだからあなたをダメにしそうで逃げた/かっちゃん
やさしいダメな人
って感じなところが好きだなぁ。
「ダメんず」って
倉田真由美の「だめんず・うぉ~か~」のアレ
だと思うんですが、
だったら
「ダメんず」ではなくて
「だめんず・うぉ~か~」を渡り歩く
っていうのが正確なところでしょうか。
うぉ~か~ウォーカー。
と、思ってちょっと調べてみたら、
「だめんず・うぉ~か~」な女性そのものも
「だめんず」っていうこともあるみたいですね。
まあ、とにかく
主体はけっこうダメな人で
相当に自覚もある、と思われます。
「あなたをダメにしそうで」
っていうの、
ある意味、別れるときの常套句的な感じもしますが、
ここでそれをはっきり言って別れるんじゃなくて
そう思って「逃げた」
っていうダメダメさ。
作中主体には惹かれないけど、
なんとなく惹かれるうたです。

2017年03月03日『耳』
パンの耳ばかり増えてく冷凍庫ニベアを塗った踵(かかと)が痛い/高木一由
このうたも、うたの日で見て、
いいなって思ったうたでした。
「パンの耳」って
残されるか切り落とされるか、
すでにそうされてしまっている状態か、
っていうモノだと思うので、
それだけでもう
なんとなく淋しい存在な気がします。
何かして食べるかもしれない、
で冷凍庫に溜めてあるパンの耳だと
それはもっと淋しいかも。
「パンの耳ばかり増えてく冷凍庫」

「ニベアを塗った踵が痛い」
のとは、
多分、因果関係は全くないと思うんですが、
その淋しさと、
いちおう手当てはしたけれど
ひび割れて痛い踵って、
なんとなく遠くの方で繋がってるかもしれない
って思う感じがします。

2017年03月26日『屋』
屋上は危険だからと施錠され暖かかった夕日が遠い
わたしの通った小学校も中学校も、
屋上には最初から行けないようになっていましたが、
多分このうたの屋上は、
最初は開放されていたんでしょうね。
だから
「暖かかった夕日」を知ってる。
すでに知ってるものを
まるでなかったかのように取り上げられちゃうと、
余計にその「暖かさ」が恋しくなるんだろうな
って思うと、
「夕日が遠い」
が切なく響くように思いました。

2017年04月22日『人魚』
断崖で人魚はシャボン玉を吹く(そう簡単に死んでたまるか)
おもわず、にやっと笑ってしまうような
()の中の人魚の心情。
いいな、こういうの好き!
って思いました。
童話の人魚姫も、
このぐらいの生きる気力があれば……
って思っちゃいますね。
(そう簡単に死んでたまるか)
の俗っぽい言い方に、
映画でよくあるような、
死んだと見せかけて実はラストシーンで……
みたいなどんでん返しっぽさもあって
たのしいうたって思いました。
泡にならずに「シャボン玉を吹く」っていうところも
皮肉がきいてていいなって思います。

2017年08月28日『踵』
帰るべき場所がどこかを知りたくてぼくは踵を3回鳴らす
「踵を3回鳴らす」
といえば、
「オズの魔法使い」ですよね。
ドロシーはあれでカンザスに帰ったわけですが、
踵を3回鳴らすと、世界中どこでも好きなところにいける
というルビーの靴で(銀の靴、でもいいですけど)
「帰るべき場所がどこだか」を
知ろうとする
っていうの、いいなって思いました。
ほんのりとした寄る辺なさ感っていうか、
何か心もとないような…みたいな感じ。
本当は「べき」場所なんてなくて、
あちこちに飛んで、見て、暮らしてみる、
そういうのもアリだなぁって思ったりして。

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