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しま・しましま

Author:しま・しましま
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しま・しましまです。
2014年冬から短歌を始めました。
主にうたの日とツイッターで短歌をしてます。
コメントとかすごくよろこびます。

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うたの日の人々 <宮本背水さん>

宮本背水さんは色んな引き出しのある人
という感じがします。
顔文字や何かしらのアイコンになるフレーズを使った
ポップなうたや、
叙景に徹したうた、
本歌取り、社会詠
もちろん、恋愛のうたや
孤独や辛さを詠んだうた、
いろんなうたがあって、
約500首、楽しく読ませていただきました。

2016年07月12日『バカ』
いでよ神龍! ツインテールの美少女になって「バカ」って罵ってくれ!
バカだなぁって思って、
めちゃめちゃおもしろかったうたでした。
全力で叫ぶ「ギャルのパンティおくれ」に
負けずとも劣らないバカさを
すでに自認しているような願いで
妙にハマってしまいました。
このうたの他にも、
二次元美少女アイコン的なフレーズが
印象的に使われてるうたがあって、
そういうのも面白いなって思いました。

2016年08月24日『黙』
黙秘する権利を行使せし猫よ 障子の穴に射す月明かり
障子に穴を開けた猫が
現行犯逮捕されたところでしょうか。
「猫よ」
って呼びかけておいて、
その後のセリフがないんですよね。
ただ
「障子の穴に射す月明かり」
があるばかりで。
この穴が証拠だから、
黙秘してても犯人は明らかなんだぞ
っていう
ほんのりしたユーモアがいいなって思いました。

2016年08月26日『泳』
クドリャフカ 宇宙を泳ぐ犬の影見えた気がした金曜日です
宇宙に人間以外の生き物を送り込んだ国は、
ソ連、アメリカ、フランス、
中国、日本、イランの六ヶ国だそうですが、
中でもソ連のスプートニク二号に乗せられた
ライカ犬の悲劇は特に有名ですよね。
ライカ犬、別名がクドリャフカ。
主体は夜空に、ふと犬の影が見えた気がして、
それはあのクドリャフカではないかと思った、
みたいなうたと思うんですが、
かつて悲劇的な運命をたどった犬も、
今はそうやって自由に泳いでいて欲しい
という願望なのかも知れません。

2016年09月24日『丘』
ゴルゴダの絵を飾りたる居酒屋のトイレでそつと懺悔してゐる
「居酒屋のトイレ」っていう
なかなか尾籠で俗っぽい場所に
「ゴルゴダの絵」が飾ってあるというのも
そうとうに皮肉な感じですが、
そこで
「そつと懺悔してゐる」
という変な素直さがおもしろいなって思いました。

2016年11月01日『速』
ものすごい速度で転げ落ちてくるコアラがいます たすけてあげて
「ものすごい速度で転げ落ちてくるコアラ」
とあると、
つい
「ものすごい速度で転げ落ちてくるコアラ」
を想像しちゃうんですけど、
それって大変なことですよね。
主体もやっぱり大変だって思って、
「ものすごい速度で転げ落ちてくるコアラがいます」
って報告してるわけです。
実況、と言ってもいいかも知れません。
で、一マス空けて
「たすけてあげて」
っていうのが、すごくいいなって思いました。
深読みかも知れませんが、
自分では助けることが出来ないから、
誰か助けてあげてほしい
ってことなんだなって思うと、
この一マス空けに、
自身の無力の自覚がこもってるのかな、って。
コアラ実況の部分だけだと
ナンセンス短歌っていう感じがするんですが、
「たすけてあげて」
で、ぐっと主体の問題に引き寄せてるところが
いいなって思いました。

2016年12月16日『白』
屋梁にならぶ鋭きつらゝ誰しもが白痴のふりのつもりでゐること
「鋭きつらら」と「白痴のふりのつもりでゐる」の
危うさがいいなって思ううたでした。
「誰しも」なので、
もちろん自分自身も「ふりのつもりでゐる」
ということなんでしょうね。
ところで、
「屋梁」は、「おくりょう」と読んでいいんでしょうか。
だとしたら、
二句までの5・7の部分が
5-3・4-3とやや破調。
初句が字余りなんだと思うんですが、
なんとなくがたがたっとした感じがします。
その辺りも、危うさを表現されてのことかな
とも思いますが、
(わたしの好みの問題かも知れませんが)
このうたは定型をびしっと守った方が
似合うんじゃないかなぁと
思ったりして。

2017年03月06日『第』
バス停で歓喜の歌をささやけばやがて合唱となる春の日
このうた、やっぱり好きだなぁって
今回見ていて改めて思います。
うたの日のサイトの方にも書いてましたが、
「第」という題詠だと考えるとき、
やや弱いんじゃないかなぁと
思うんですけども、
でもそれを度外視すると
すごくすてきなうただなって思います。
バス停、つまり舞台は野外です。
ふと主体が小さく口にした「歓喜の歌」から、
次第に歌が広がっていって合唱になる。
そして気がつくと「春の日」だった。
というシーンがミュージカルみたいに
想像されるんです。
JoyfulJoyful、ですしね。
映画「天使にラブソングを2」で、
まだあどけない顔のローリン・ヒルのソロで始まる
あの曲も思い出してしまううたでした。

2017年08月26日『我』
アルバムに祖母に抱かれる我がゐて 通夜に降りしきる夏の雨
うたの日では
祖父祖母を詠んだうたは
人気がある、
みたいなことを言う人を
見かけたことがありますが、
そうですね、
わたしも大概好きかも知れません。
親よりも恋人よりも、
祖父母を詠んだうたの方が
なんとなく思いが深そうだな
って思えることが多いからかも。
通夜の席に、
誰かが持ち出したアルバム。
そこに居る祖母と幼い自分。
「通夜に降りしきる夏の雨」
がいいなって思います。
「夏の雨」の感じに、
涙雨みたいなしめっぽさはなくて、
抑えのきいた描写って感じがします。

うたの日の人々 <雪間さとこさん>

雪間さとこさんのうたは優しい。
甘い優しさというよりも、
そもそもの視線が優しい感じがして好きです。
生真面目な感じでもなくて
なんとなくゆったりした感じのやさしさで
好きだなぁって思ううたが多いです。


2014年09月04日『くし』
君のこと好きな理由がわかったよ うちのバニラと同じくしゃみだ
誰かを好きな理由って、
めったにコレだって分かることがないけど、
それが分かるっていうのは
それだけで幸せなことだなぁって思います。
「うちのバニラ」は多分ペット。
それも、主体が愛情を注いでるペットの名前と思います。
ペットのくしゃみと同じなんて言われたら、
言われたほうは微妙な気持がするかもですが、
そんな些細なことも親しく思えるっていうのが
すてきな発見だなぁって思います。
「バニラ」の名前の明るさとかやさしい感じも
このうたの雰囲気にあってていいなって思いました。

2016年03月14日『贈る』
のし紙に名前を上手く書けたとき贈る前から笑顔になれる
うわーなんてやさしい人なんだろう。
そんな事かんがえつきもしなかったけど、
たしかにそうだなぁ……
って思って、
びっくりして、それからこちらも笑顔になる
そんなうただなって思いました。

2016年07月23日『犬』
お隣の犬がこんなになつくからうちでは何も飼えないじゃないか
これもめちゃめちゃ優しいうたですよね。
やや字余りの結句
「飼えないじゃないか」の
「じゃないか」がいいなぁって思います。
単なる呟きのようでもあり、
「お隣の犬」に言ってるようでもあり。
そういえば
「こんなになつく」なので、
きっと目の前に
「お隣の犬」がいるんじゃないかな
ってそんな感じがします。

2016年09月08日『アパート』
アパートを建てて母屋に住もうねとほほえみあって買う宝くじ
うわーこれ好きだな!
って思ったうたでした。
家賃収入で不労所得を得るって
ぼんやりした夢の中でも
微妙に現実味があるようなないような感じで
「宝くじ」の当選金の使い道を夢想するのに
それっていうのが
めちゃいいなって思いました。
単なる不労所得ゲットの夢じゃなくて
「母屋に住もうねとほほえみあって」
っていうところが
またすてきにいいなぁ。
二人でいっしょに、
っていう感じ、
それももしかしたら儚い夢のひとつなのかな
とか、
そこまで考えるのは行きすぎかな。

2016年10月07日『光』
水筒の中身を当ててみてなんて言うから「光」と答えてやった
当ブログでも感想を書かせてもらったうた。
その記事と同じことを書いちゃいますが、
「水筒の中身を当ててみて」「光」
っていう会話の背景が
ふわっと浮かんで来るようでいいなって思います。
学生のカップル、
みたいな感じを想像します。
「答えてやった」の
「やった」のツンな感じが可愛いな。

2016年12月02日『選』
白菜を上手に選ぶコツですか一緒に買って帰りましょうか
なんてスマートなんだろう
って、
このうたを初めて読んだ時にも思いましたが、
ホントにスマートですてきだなぁ。
一首まるまるが話し言葉で
それが丁寧語なのも、
「白菜」という野菜のチョイスも、
温かくていいなって思います。
そんなことを言われたら、
是非!ってなってしまいそう。
57577で
きれいに話し言葉が収められていて、
言葉の並べ方に無理がないのも
なんだか白菜を上手く選んでくれそうな
妙な信頼感があるように思えます。

2017年04月12日『マン』
多摩川にブルーマンデー投げ捨てに来てカワセミを探してしまう
このうたも、
うたの日でハートをいれさせてもらったもので
ホント好きだなぁって思います。
「多摩川にブルーマンデー投げ捨てに来て」
の調べのややぎざぎざした感じや
「ブルーマンデー」を「投げ捨て」ようとするところ、
何か切羽詰った感があるんですが、
そこから
「カワセミを探してしまう」
っていう転調がすごく面白いなって思います。
こう、まなじりをけっしたというか、
思いつめた様子で多摩川に来たのに、
ふと、そういえばカワセミいるかも……
ってついキョロキョロしちゃう
という締まらなさ。好きです。

2017年08月11日『一番』
一番に知らせたいから君以外ハムと思ってここまで来たの
ハム!
思いがけないフレーズにびっくりして、
それから、
じわじわと
一途な可愛さが溢れてきて、
めっちゃキュートなうたって思います。
もしかして、
そんな感じでちょいちょい人は
誰かの視線の端でハムにされてるのかも
とか思って、
可笑しくなってしまうかわいいうたでした。

うたの日の人々 <松岡拓司さん>

松岡拓司さんは文語寄りのうたを詠まれる人、
というイメージがありましたが、
今回うたの日の投稿歌をデビューからずっと読んで行くと、
案外そうとも言い切れないんだなぁって思います。
そうだ、このうた面白くて票を入れたんだったなとか
印象的なうたがいくつもあって、
時間制限のある歌会でも鮮やかな存在感を見せるうたや、
じっくりと読んで味わいがあるうた、
どちらも魅力的って思います。


2016年11月01日『反対』
この星の反対側から飛んで来たチキンが安い メチャクチャ安い
このうたのスピード感と
なんだかよく分からないパワフルさが好きで、
うたの日でハートを入れたことを思い出します。
たしかに、ブラジル産のチキンの安さって
ちょっと大丈夫かと思うぐらいですよね。
それを
「チキンが安い メチャクチャ安い」
って勢いのあるフレーズで詠まれてて
うおっスゲェ!
みたいな気持になっちゃいます。
「この星の反対側から飛んで来た」
っていうところもめちゃパワフルで、
まるで地球を半分廻ってチキンが自力で飛行してるみたい。
しかも、
ニワトリというよりも肉となったチキンが
ミサイルみたいに飛んで来るところを想像しちゃいました。

2016年11月12日『確』
確実に結果の出ることだけをする まずは三分きっちり茹でる
何でもやればすぐに結果が出るわけじゃないし、
出た結果が期待したものだとも限らない、
ということは承知してるわけですが、
それでも
「確実に結果の出る」ということがあるって
確認したいというか、
たまにはそうであって欲しいと思う時って
あるなぁって思います。
料理って
工程の一つ一つをちゃんと行えば
ちゃんと結果にあらわれますよね。
レシピ通りの分量で、
定められた手順をきっちりなぞって、
確実な結果を求めるために、
「まずは三分きっちり茹でる」。
「きっちり」がいいなって思いました。

2017年01月20日『チャイム』
犬なりの気まずいふうにそっぽ向くテレビのなかのチャイムに吠えて
人のとほほ系も大好きですが、
犬のとほほもすてきですね。
うっかり間違えて吠えてしまったことに気付いた犬の
その後の動作、
愛らしいなって思います。
このうた、よく読むと主語がないんですよね。
でも「犬なりの」で、
ああ、犬なんだなって分かる。
「犬なりの気まずいふうに」
っていう描写、わたしは好きだなぁって思います。
観察者の主観をあまり入れないで、
その犬の描写に徹した感じが逆に、
失敗しちゃった犬への
あたたかい眼差しにも思えます。

2017年02月15日『見』
食パンは六枚切りに頼みたり近所の火事を見てのついでに
こういう非情のうた、
好きだなぁって思います。
目的は「近所の火事を見」ることで、
そのついでに食パンを買う。
食パンっていうのが、
朝食とかに常食するような種類のパンなので、
よけいに
「近所の火事を見てのついでに」するには
生々しい感じがあって、
そこがなにやらぐっときます。
それにしてもこのうた、
うたの日でわたしは選んでないんですよね。
でもあとでいいなって思うことありますね。

2017年04月24日『下町』
人造花かごいっぱいの自転車とすれちがいのち下町に入る
このうたもいいなぁ。
「人造花」、
あんまり使わない言葉ですが、造花のことですよね。
しかもすれちがった自転車のかごにあって、
造花ってわかるんだから、
けっこうな人造ぐあいだったんじゃないかと思います。
それが「かごいっぱい」で、
なんとなく、「何だろう」ぐらいの気持ですれ違った、
みたいな情景を想像します。
(で、まあここからも想像、というよりも
妄想みたいなものですが、)
そののち、多分あまり距離をおかずに
「下町に入る」主体なわけです。
で、
さっきすれ違った
「人造花かごいっぱいの自転車」
の出所も、多分この下町で、
そうか、
あれは下町の人のいとなみの一片だったんだな
って気がついた、
みたいな感じじゃないかなぁ
って思います。
初句の、あまりなじみのない言葉である「人造花」、
それが結句の
「下町に入る」を読んで、
あっってまた初句に心が戻っていくような
そんな感じがしました。

2017年06月15日『方言で詠む』
おだづして訛ってみだっけ夕餉にサァ 娘は特に笑ってくれて
このうたも、
あー取りこぼしちゃったんだなぁ
っていううた。
今読んでみると、
ホントあったかくてすてきですね。
「おだづ」はふざける、
みたいな意味の方言だそうですが、
「夕餉にサァ」の「サァ」が
めちゃめちゃあったかくてすてきです。
家族の反応も良かったみたいで、
そこもすてき。
あったかくてすてきなうたでした。

2017年06月27日『ヒーロー』
さみどりのカーペット丸められてゆくヒーローショー後の黄昏のなか
野外ステージで行われていたヒーローショー。
それが終って、
観客も居なくなって、片づけがはじまる。
そういう情景を詠まれたうたと思います。
まつりの後って、たいがい淋しいものですが、
ヒーローショーっていうのも、
瞬間風速だけが高そうで、
終ってしまうと
きっとより淋しいんだろうなって思います。
「さみどりのカーペット」の
その色の鮮やかさが
くるくると片付けられていく、
はい、おしまい、
みたいな淋しさがあるなぁって思ううたでした。

2017年07月08日『豚』
吃りがち ぼ、ぼ、ぼくはピグレット た、た、ただの小豚だったよ
うわっこれは!
って思ったうたでした。
確かに「くまのプーさん」に出て来るピグレットは、
うろたえたときとかによく吃りがち。
でも「豚」っていう題で
「吃りがち」って来るかーってまずびっくりして、
そして最後に
「子豚だったよ」の「だったよ」にやられました。
過去形!

2017年07月15日『スイカ』
少年は買い物ぶくろ振り回し割れたスイカのじゃぶじゃぶ香る
夏のめちゃ明るいうたって思いました。
スイカを買って帰る道、
重たくても気にしないし、
スイカが割れちゃってても気にしない(気にしろ)
少年のなんか楽しげに見える感じが
いいなって思います。
で、
「割れたスイカのじゃぶじゃぶ香る」

「じゃぶじゃぶ香る」
っていう描写がすごく好き。
じゃぶじゃぶはスイカの割れた果肉が
ビニール袋の中であちこちするときの音
かと思いきや
「香る」っていう着地点が
意外で、そして分かるなぁ
ってところがいいなって思いました。

2017年08月02日『フルーツ』
見たこともないと云いうるフルーツがもうこの星にない 立秋へ
スイカは4000年前の古代エジプト人が
すでに栽培していて、
日本でも鳥獣戯画に
スイカらしいものが描かれているとかで
割と古株のフルーツですが、
その他のたくさんのフルーツ、
今は遠い遠い国の
ごく一部でしか栽培されてないようなフルーツでも、
少なくともテレビやネットで見た事がある
というような感じじゃないかなって思います。
このうたの面白さって
「見たこともない」
じゃなくて
「見たこともないと云いうる」というところに
あるんじゃないかなぁって思います。
言い切れないけど、言い得る、
というちょっと歯切れの悪い感じ。
立秋は(今年は)8月7日でした。
まだ全然秋っぽさはない、
むしろ夏真っ盛りにきく秋という言葉の違和感と
もう未知のものは
この星にないのかもしれないという
淋しさがあうなぁって思いました。

うたの日の人々 <ハナゾウさん>

ハナゾウさんのうたっていうと、
まず浮かんで来るのが性愛のうた。
「性愛」っていう言葉、
短歌を始めるまであんまりわたしの周辺にはなかった言葉で、
それの差す正確な定義が
実はよくわかってなくて
それでも今回使ってるわけなんですけども、
なんていうか、
恋愛由来のセックス
(って言って伝わるでしょうか?)
を詠まれてるって感じがします。
正直言うとわたしは、
そういう方面のうたを読むのが
そんなに得意ではないんですが、
それでもハナゾウさんの性愛のうた、
ぐっとくるものが多いなって思いました。

2016年06月13日『蚊』
ふたりとも重なったまま耳すまし性欲よりも蚊を追っている
うたの日デビューのこのうたとか、
めちゃ生々しいなって思います。
蚊のぷうんって羽音って
聞こえた瞬間から、
すべきことの順位の第一位に
「蚊をなんとかする」
が来るぐらい気に障りますよね。
かすかな音だから、
自分たちで音を立てないようにして、
蚊の存在を耳で追ってる。
その間は、
もう本能かっていうぐらい無だったり。
その、一瞬の無の感じが、
行為そのものよりもエロいなぁって思います。

2016年07月24日『潰す』
潰すのはトマトにんにく日曜日君を待ってた私の気持ち
期待してた日曜が
多分「君」の都合で残念なことになってしまって、
この期待の行き場がない。
期待と、悲しさと、
あと、怒りとかもあるんでしょうか。
「トマトにんにく」ときて、
「日曜日」までいっしょにして、
その「気持ち」を潰しちゃうって、
なかなかパワフルで好きだなぁって思います。
谷山浩子の「土曜日のタマネギ」ってうたがありますが、
あれをふっと思い出したりします。
「潰すのはトマトにんにく日曜日」が
「サヨナラにんじんポテト」
を思わせるからでしょうか。
でも「土曜日のタマネギ」のポトフよりも
ずっと力強くて好きだなぁ。

2016年09月03日『百』
ぴんくいろ見上げればフリル百日紅やっぱ可愛く生まれたかった
「ぴんくいろ」「フリル」「百日紅」
重ねすぎじゃない?ってぐらいに重ねた言葉に
「やっぱ可愛く生まれたかった」
の「やっぱ」が響くなぁって思います。
もう、心からの「やっぱ」ですよね。
普段は、
「可愛い」以外にも魅力なんて色々あるんだから
って思ってても、
でもやっぱ……って気になっちゃうことって
確かにありますよね。

2016年09月21日『欠』
また爪が欠けたよ夜中に歯も痛いもしもし世界に誰かいますか
「もしもし世界に誰かいますか」
って問いたくなること
たしかにありますよね。
もう途方もなく孤独な夜って。
「また爪が欠けたよ」に重ねて
「夜中に歯も痛い」
っていう、
この身体的な欠落とか痛みとかそのものもですが、
「また」で「も」っていうところが
なんか圧迫感があって、
「もしもし~」っていう
下の句のやさしい言葉遣いとの間に
なんとなくズレがあって、
そのズレの部分に
思いがこもってるような気がします。

2016年10月18日『足』
ふたりして並べて見てるはだかんぼあしのゆびまでおとこのひとね
ひらがな多用で
「見てる」「はだかんぼ」
とか舌足らずな言葉遣いとか、
無邪気っぽさが装われているけど、
これはけっこうな使い手(何の?)だな
って唸らされます。
それはそうとして、
「あしのゆびまで」の「まで」が
そこへ行き着くまでの視線を想像させて、
印象的だなぁって思います。
前述のうたも
「また」「も」が印象的でしたが、
こういう「も」「は」「まで」「また」
みたいな言葉、
俳句では説明的になるとか
思わせぶりになるとかで
扱いがむずかしかったりするんですが、
短歌ではこうやって使いこなしてるんだなぁ
って思うと、
まだわたしは俳句の何かに縛られてるんだなぁって
しみじみ思ったりします。

2016年11月24日『ダイオウグソクムシ』
プロポーズありがと嬉しいでもわたし寝起きはダイオウグソクムシだよ?
「寝起きはダイオウグソクムシ」
この、想像出来そうで出来ない寝起きの感じが
めちゃ面白いなって思いました。
つまりどういう……?
みたいな。
ところでこのプロポーズ、
受けてもらえる未来が見えないきがするんですが、
このうたの言葉に続く答えって
どうだったんでしょうね。
すごく楽しいうたでした。

2017年02月01日『蟹』
夕焼けが背中に重い帰れないこのままここで蟹になりたい
このうた、
とっても好きなんですよね。
すでにもう二度も、
このうたについて言わせてもらってますが、
言葉のたたみかけがいいんですよねぇ。
「重い」「帰れない」「蟹になりたい」。
あと、
なりたいのが「蟹」っていうチョイスね。
大好きなうたです。

2017年03月26日『パン』
食パンを1斤飲み込む胃袋よ狂ってるのはお前ではない
今回、ハナゾウさんの
うたの日に投稿されたうたをまとめて読んでて、
一番胸にどーんときたうたでした。
パンを食べる
って行為をとばして、
胃袋と食パンとの関係だけにしぼってるところが
まず、おおぅって思ったところでした。
ウワバミが象を飲み込む
みたいな感じで
胃袋が食パン1斤を飲み込む
って聞くと、
なんだか胃袋がそれを求めていたみたいにも
思えるんですが、
ホントは胃袋の持ち主、この胃袋に呼びかけてる人が
食パン1斤食べちゃったんですよね。
たしかに、だからって1斤を受け止めてしまう胃袋も
それはかなり普通ではないかもしれないけど、
でも
狂ってるのは胃袋じゃないんですよね。
うん、どう表現していいのか分からないんですが、
すごく好きなうたです。

2017年05月13日『好きなパン』
海へ行くたまごサンドを持って行くひとりでも行く泣いても食べる
またまたパンのうたを選んでしまいましたが、
これも好きです。
「海へ行く」
「たまごサンドを持って行く」
「ひとりでも行く」
というたたみかけに、
何かもう意固地にも思える決心のほどが見えます。
が、
そのあとの「泣いても食べる」で、
ふっとずらして、
海へ行くかどうかの話じゃなくて
持って行くたまごサンドの話になってるところが
おおって思う感じ。
ほんわかした悲壮感があって、
いいなって思ったうたでした。

うたの日の人々 <須磨蛍さん>

須磨蛍さんはうたの日の大先輩。
当ブログでもたくさん感想を書かせていただいてるんですが、
作者須磨さんご自身かどうかは別としても
主体を直接詠むというよりも、
身の回りを詠むうたが多くて、
それをまとめて詠んでいくと、
一人の男性の姿がうっすらと浮かび上がるような気がします。
題から自由に意識を飛ばせたような楽しいうたも
須磨さんのうたの魅力の一つって思います。

2015年06月09日『ビートルズ』
想像が贅沢になってしまう日を想像してる12月8日
題が「ビートルズ」で、
詠まれているのはジョン・レノン。
それもビートルズ時代のジョンでなくて、
「イマジン」であり、亡くなった日だ、というのが
気になってしまって、
うたの日では票を入れなかったんですが、
「12月8日」を軸にして読んでみると、
あーなんかいいなって思います。
12月8日、この日は、
ある程度お年を召した方だと
多分すぐに思い出される日じゃないかと思うんですが、
太平洋戦争開戦日でもあります。
ジョン・レノンは
「想像してごらん」と歌ったけれど、
12月8日に死んでしまった。
ジョン・レノンは
「世界は一つになる」と歌ったけれど、
彼の死後も彼の知らない戦争が起っていく。
いつか想像することすら「贅沢」になってしまう
そんな暗い未来を想像してしまう、
12月8日という日は、
そんな想像をしてしまうには
いやになるほど合いすぎてるなぁって思います。

2015年07月02日『沈』
実印に三十五年を背負わせて沈める沼からじゅくじゅくと朱
「三十五年」という具体的な数字から、
これはもしかして住宅ローンとか
そういう長期ローンなのではないかと思ったりします。
新居のための借金なんで、
もっと明るいイメージもあったかもしれないのに、
「背負わせて」「沈める」「沼」「じゅくじゅく」
って、
どうにもやばい雰囲気のフレーズが続きます。
いや、あっさりとは返せない金額の借金ですから、
このぐらいの悲壮感は背負っちゃうのかも知れません。

2015年09月19日『爆』
処理班の腕は拙い 放課後の道を散らかす爆ぜた鳳仙花
想像すると、
めちゃ可愛らしい小学生たちの姿が浮かんでくる、
牧歌的な光景なのに
「爆」「処理班」なんて
きな臭いフレーズで描かれてるところが
楽しいうたって思いました。
単に鳳仙花の実をはじけさせて、
その感触を楽しむ遊びとも思えますが、
「処理班の腕は拙い」で
「道を散らかす」
とあるので、
もしかしたらこの「処理班」には、
鳳仙花の種を採取する
という任務があったのかもしれません。

2016年01月13日『ポスト』
集配のバイクが去って急速に冷え切っていく川辺のポスト
以前当ブログでも感想をかかせていただいたうたなのだけど、
ホント好きなうたなんですよね。
1月の寒々とした川辺に立つ赤いポストと、
バイクのマフラーから出る排気の名残りとか
そういうものが想像されて、
あー、こういう情景詠めるってすてきだなぁって思います。

2016年02月28日『宇宙』
宇宙から撮られていると知ってればもっと綺麗に干していたのに
今回わたしが選んだうたには、
あまり多くなかったけど、
須磨蛍さんはは題をユーモアのある切り口で料理する
みたいな楽しいうたも多いんですよね。
この「宇宙」のうたも、
めっちゃ楽しいうたって思います。
衛星写真からの写真撮影にまで気にしちゃうっていう
スケールの大きさと小ささの対比も
おもしろいなぁって思います。
「もっと綺麗に干していた」
っていうのも、
ほんのりした含羞があってキュートだなぁって思います。

2016年08月28日『妙』
白妙のガーゼに抱かれ吾子ひとり命に慣れず保育器にあり
保育器の中の我が子に対する、
祈りのこもったうた。
「ひとり」「命に慣れず」に、
親としてどうしてやることも出来ずに、
ただ無事に自身の力でここを乗り切って欲しい
って祈りと、
「あり」に、
その力を信じている親の眼差しがあるような気がします。

2016年08月31日『宿題』
模造紙に跳ねる字のなか眠る子へ五分延長する夏休み
夏休みの宿題の中でも、
特に手ごわい自由研究のための模造紙でしょうか。
「跳ねる字のなか眠る子」
っていうのが、
作業中か、あるいは仕上げ直後に
そのまま寝入ってしまったようでいいなって思いました。
親の温かい眼差しも感じられてすきなうたです。

2017年01月20日『きっかけ』
路地裏でネコヤナギの芽を踏んづけた 禁煙してもう八年が経つ
うたの日で見たときからいいなって思ってたうたでした。
「ネコヤナギの芽」と「禁煙」
なにも関連性がなさそうだけど、
「ネコヤナギの芽を踏んづけた」ことで、
ふと「禁煙してから」と思いを馳せてしまう
この感じ、なんか分かるなぁって思いました。
わたしは踏んだ記憶がないので、
完全な想像ではありますが、
ネコヤナギの芽の白くて軟らかくて、
ちょっと厚みのある感じって、
たばこの火を踏み消しすときの感触に
どことなく似てたんじゃないかなって。
もっと他の、
個人的な理由から
「ネコヤナギの芽」と「禁煙」を
何かつなげる理由があるのかもしれませんが、
「ネコヤナギの芽を踏んづけた」
っていうアクションとそれによって得られる感触で
何かを思い出させられるって
なんか生々しくていいなって思います。

2017年05月05日『責めて』
君だけを責めてはいない 五回目の課長のセリフも立ったまま聞く
「五回目の課長のセリフも」の
「も」が
「君だけを責めてはいない」という
課長のセリフに対する
主体の思いが感じられるうたって思いました。
それはたしかに
「だけを」ではないのかも知れないけど、
これはかなり責められてるなぁ。
長い上司の叱責を受け続けてるつらさ。

2017年08月11日『霊』
霊媒はどこにでもありくたびれた祖父似の誰かが鏡に映る
このうたの「霊媒」は、霊と交信するための触媒としてのモノ、
を差してるんじゃないかと思います。
たとえば
「くたびれた祖父似の誰かが鏡に映る」のも、
それは見る人によっては
「祖父」そのものが降りてきた、
と思えるのかも。
「霊媒はどこにでも」あって、
街角で、誰かとの会話の中で、
ふとした家族の横顔に、
亡き人がふっと現れて、
短い邂逅があるんだっていうの、
なんか胸にぐっとくるうたでした。

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